自転車と列車でめぐる南ドイツの旅 2019/06




まえがき
 暑い日本の夏は、北海道か北ヨーロッパ。今年の夏はドイツへと調べてみると、自転車旅行の最適な国。いくつもある長距離の自転車ロード、美しい川沿いの道は概ね平坦で年寄りでも気楽な自転車の旅が出来ると、良いことばかりのドイツ自転車の旅。最早78歳で一人旅。今回は親友の河原君は行けません。なんとなく不安だけど、なんとかなるさ
 
 先人のサイクリストは、Verlag Esterbauer GmbhGmbhの社のガイドブックを取り寄せて、ルートチェックをするのが良いと書かれていまが、私には使い慣れた最近のOff Lineマップがあります。それでも一応BiKeLine[Von Bayreuth nach Mainz]をアマゾンで買ったのですが、送られてきたのは、目的の古城街道より北のルートで役に立たずでした。そんな訳でガイドブック「地球の歩き方」だけを頼りに計画したのですが、これが概ね大失敗でした。
オフラインマップMapsMeでてくる自転車道は、パンタイク方で計算される道、最適なサイクリング道とはいえません。先人のブログを見ても結構道に探しに苦労されてるようです。それは、多分他の国ではない転車道路が蜘蛛の巣状にいたるところにありるからでしょう。
もし、このブログを見てドイツに行こうと思われるなら、 ww.esterbauer.comにルートの一覧らしき表題が掲載されてありますので、このをAmazon検索購入すれば入手で来ます。
それと、丁寧な参考書として、「ドイツ自転車旅行を楽しむ」小柳津厚尚著をお読みなるのをお薦めします。古いので図書館にはあると思います。
 ドイツは鉄道網がしっかりあって、アプリは、DBで検索してください。実に詳細に表示されます。急行列車ICEだって前日に予約しておけば自転車も乗せられます。折り畳み自転車は客車両に乗ってから畳んでしまえば普通の携帯荷物ですので自転車切符は必要ありません。現地では、クロスかマウンテンが大部分で、折り畳みは全く必要ありません。日本から持って行くならクロスバイクで充分です。
 宿はBooking.comで2日前でネット予約すればOKです。町の中心部の方が多少高くてもいろいろ便利です。また、人気YHAホステルは専用アプリで早くから予約が必要だと思います。BikeLINEのガイドブックにある自転車の旅用旅館は安くて良さそうですが、当日ぶっつけで尋ねるようですので不安ですね。


6月13日


FINNAIR 13日関空0:25発ヘルシンキ経由ミュンヘン13日9:35着これは超お得、時差を入れると16時間のフライトですが、寝てる間に到着です。飯は良くないが、どうせ真夜中で食べるので何でもいいです。ヘルシンキは5:40着で2時間待ちで9:35にミュンヘン着です。
ヘルシンキはムーミンのお出迎え



電話番号はオランダです。
 ネット調べるとドイツではSIMを買うのがやっかいとのことで、初めてアマゾンで30日5Gのシムを買いました。電源は現地で入れることの注意書き。アクティベイションは必要はありません。 ミュンヘンで早速電源を入れてみる。つながりませんね??中国製ですからやっぱりと思う。後ほどフリーWiFiをセットするとつながりました。ちなみに空港やホテルのWiFiはフリーですが認証が必要とのことです。方法がよくわかりません。後ほど認証画面でいろいろ入力するとつながりました。Google検索で「認証」を調べるとMcアドレスを日本から入れておくと良いと書いて有ります??。思えばスコットランドの時WiFinの認証に手こずりました。

 近郊電車は空港で3DaysTickts買ってS8で二駅目Hallbertmoos(無人駅)で降りて自転車を組み立て、MapsMeをたよりに広い麦畑の中を15分ほどです。
ホテルハルベルガーホフのHostel用部屋は45€/泊の部屋と共用キッチンとシャワーです。6畳程度の狭い部屋です。3泊の予定です。この日は昼からドイツ博物館別館の航空機展示館に行く予定でしたが、WiFiの認証とスマホのSIM接続などで3時過ぎまでかかりました。
正直、スマホがつながらないと眼くら同然の私です。その後近くスーパーに出かけてたりして、1日が終ってしまいました。

6月14日

 朝食はドイツの典型的な豪華なもので、以降どんな安ホテルでも同じようなものが並んでいます。私はいつもランチにサンドイッチを作ってリンゴとともに密かに持ち帰ります。以降どっかの田舎町で堂々とこれをやってると、女主人に注意されました。
しかし、結構自転車旅行ではこれが役に立ちますし、最悪晩飯の代わりになったりもします。
 朝、自転車で空港駅から一つ目のBesucherpark駅まで自転車道を走ってS1に乗換オバーシュライスハイムにあるドイツ博物館の別館航空機館に行きます。
ちなみに、DBは改札は有りません。近郊列車Sバーンは検札に来ることもほとんどありませんので、無賃乗車やキセルはいくらでもできるのですがさすがドイツ人、そんな事をする輩はいないようです。私のかって開発した自動改札など全く無用ですぞ。

 オバーシュライスハイムで降りて早速自転車で森の中を航空機別館に向かいますが、どうした事か、古い滑走路にでてピットまで行くと、小型飛行機の並んでいます。博物館の飛行場では違うとのこと。 思うに事前に位置設定をしてきた地図上のポイントは、入り口を指している訳ではないので、近くまで行っても入り口がわからなくてうろうろすることが何度もありました。大きな建物は入り口をG.mapで再度検索してチェックしておく必要があります。このことは最後まで気がつきませんでした。概してドイツでは、どこでも入り口二誘導する近辺の案内板はほとんどありません。
 

期待の別館航空機部は、グライダーの時代からの展示物でいっぱいです。
 



メッサーシュミットBf 109で速度は出るのですが運動性能はスピットファイヤーに劣っいて、ロンドン爆撃の援護も航続距離などで問題があったそうです。
Me 262 ジェット機

期待した急降下爆撃機ユ-カスJu-8Dはありませんでした。
それと、ハーケンクロイツのマークはどの飛行機にもつけてありません。
ウオッケウルフでしょうか。
 飛行船の模型をワイヤーで吊してして飛ばしていましたが、戦闘機などより子供達はこれが一番人気です。




 前に再び
S1に乗ってミュンヘン中央駅に行き、予約しておいたミュンヘン市内観光バスのダブルデッカに乗ります。日本語のオーディオ付です。



マリエン広場はカヘテリヤでいっぱい。
新市庁舎のGlockenspielの時計仕掛けの人形達は有名です。日本の十勝にも同じような物ありましたね。


バスは小一時間ほどでブラウン教会>マリエン広場>レジデンツ>ビアホールなどを回って帰って来ました。短い時間ですが、途中で下りて観光し次のバスに乗れば3時間ぐらい楽しめ、市内の概略交通も確かめられると思います。

 バスは元の中央駅まで戻ってきます。自転車も何事も無く待っていてくれました。それ以来何処の町にいっても鍵だけで長時間駐輪ですが、さすが何かにくくりつけていたのは心配症なんです。

水量の豊富なイザール川
大きな町にはほとんどこのような船の通れる川があります。

 私はそのあと旧市街の南側を流れるイ-ザル川の中州にあるにドイツ博物館に行って。一階だけの船の展示ルームでUボートの内部等を見てきました。
映画「眼下の敵」の影響ですね。私達の年代はドイツとと言えば戦争映画ばかりで、申し訳ありませんね。

こんな中世の船から現在までの船が展示されています。

Uボートの発電部分です。
司令塔の肉厚は30Cmも有ったりしたのにはびっくり。

最早4時過ぎ、半日かかっても見切れない大きさ。だから2日間ぐらい有効にすべきです。多分ミュンヘン展示共通切符を買えば何回でもOKかも?
沢山ある美術館を梯子して、オペラを見て、ビールをたらふく飲んで、1週間はここだけでたのしめます。そして郊外に自転車で出て。

6月15日 Dachau 強制収容所  Schloss Nymphenburg

ドイツに来たからには、必ず見るべきもの、ナチスの足跡です。このミュンヘン郊外のダッハウ強制収容所があります。

朝、再びS8から空港回りでS1に乗り継いでオーバーシュアライスハイムから自転車でいきます。
自転車道路は、近郊の町には至る所あって若い女性ライダーはごく自然に乗って行きます。遅追い越していく女性の美しいお尻を眺めるのも一興かとおもいますが、いかがでしょう。

強制収容所の入り口は若者でいっぱい
収容所の外側には焼却炉とシャワールームというガス室

焼却炉は意外と小さいです。

帰り道の麦畑に咲く赤いケシの花強制収容の人たちの残照のよう。

 午後は再びS1に乗って、Moosachで降りてニンフベルグ城に行きます。
ニンフェンブルグ前庭の噴水庭園。



 思わずワーと言うほど美しく大きな天井絵と壁の装飾。


この36枚の女性像はルードヴィッヒ1世が愛した美人画でひたすら歓心です。


6月16日 Munchen >Garumisch


 いよいよ自転車の旅の第1日目が始まります。昨日3週間の荷物(帰りの自転車梱包材)の預かり代30€か10€でさんざんもめる。ビッグボスに聞いてくれのこと。ところが、翌日朝は8時になっても食堂は開かない。近くの近くのスーパーでパンを買って帰ると小ボスらしき女性がやってくるが、食いはぐれた朝食代9€返せと言うが、土曜と日曜は8時半からとはドイツの常識の一点張り。思いつくかぎりの英語で文句を言うが。
憤懣やるかたなしで、駅まで自転車をこぐ。ナメンナヨ! 


 バイエルンの南のオーストリアの国境に2500m級の山のあるガルミッシュパルテンキルヘンへ輪行。RDで1時間半ほどで到着。

計画では、裏手から出る登山列車に乗って中腹まで行く予定ですが、とりあえず先に荷物をホテルへ。このホテルがまたた大失敗。
Zur Shenen Garuni
村から100mほど登りのホテルへの道、ショートカットが行き止まりで苦労させられる。やっとたどり着いたホテルは閉まったまま。電話も出ない。
3時過ぎになっていオーナが帰ってくるが、受付は5時からと決めてあるとのこと。要するに辺鄙で客がいないということです。通された部屋のバスルームはバスタブ付ですが、トイレが糞つまり。糞詰まりのトイレほど気持ちの悪いもなはなし。
 晩飯はなんと20分ほど下った80mm下の村のレストランへ。最初からこのあたりのホテルにしておけば、何の問題も無く登山電車でドイツアルプス Mt.Zugspitz2962m に行けたものを。
ガルミッシュパルテンキルヘンの村中心

6月17日   Garmisch Parten > Fussen

朝食はりっぱなものを作ってくれました。夕べ高い金を出して食べた夕食よりこちらの朝食の方が数倍豪華で美味しいし。

泊まり客と朝食風景

唯一の救いはこの若いオーナは、マリオ大好きの男、
ニンテンドウ、ニンテンドウと私を見て騒いでいる陽気なハンス君。
 昨日はホテルの選択の失敗で、登山列車もならず、夕食もまずくって高い。チップも3€のおつりを返してくれなくてぼったくり。さんざんですがだんだん根性ができてきました。これからは絶対文句を言おう。 
 今日は西に50kのロマンティック街道の終点フッセンまで楽しいサイクリングの予定。スタート早々携帯ポンプの口がねが無くなっている事に気がつきます。パンクでもしたら山の中で行き倒れ。自転車屋検索して、口がねを探すがありません。仏式/英式のアダプターですが、ドイツは英式は使わないらしく、結局ハンドポンプを買う羽目になりました。


ルートはホテルから西に50Km オーストリア側のプラン湖畔を通りレヒ川を北に15kほどで登りフッセンに行きます。楽なコースと思っていましたが、国道から分かれの道に柵があります。ドイツ語で何が書いてあるのかわかりませんが後から来た二人が気にもせずに扉を開けて通ります。道はガレ道、登りも結構あります。ガレがひどくてタイヤが裂けるのではと心配。皆はほとんどがマウンテンです。なんとか2時間ほどで、山の湖に到着。
Lake Plansse

 湖畔はキャンプ地やプチホテルがありますが、ドイツ側からは周り道ですが国道もあります。
湖畔の土手で少し昼寝のつもりで土手を上ると、トップレスの女性の日光浴がチラッと見えたので、そっと立ち退きます。のぞいたら訴えられるかも。

昼過ぎにはチョットした滝を越えて、レヒ川を渡るとフッセンの町に入ります。
ホコ天になっていて、大勢の人たちが楽しんでいます。そこを通り抜けると、

道路はカヘテラスになっていて賑やか。
閑静な住宅地にあって宿は、新築のゲストハウスRote Vllaです。相変わらず閉まったままですが、しばらく待つとオーナーの女性が帰ってきました。
広いキッチンと洗濯室、食堂と庭のカヘテラス。ベットはダブルの部屋、シャワーとトイレは共通ですが2部屋に1つ有る勘定です。難を言えばドアがオートロックになっていてかなり気をつけないと閉め出されます。
 シャワーを浴びて洗濯をして、少し昼寝をして、近くのスーパーに買い物に。
水と果物、ポテトチップ、ビール。帰って来ると、スマホが無い。スパーに忘れてきた様だ、慌てて自転車で取りに戻る。レジのおばさんに聞くが知らぬとの返事、売り場で、シャンプーの種類を辞書で調べていたのだからと売り場に行く、やっぱり無い。えらいこっちゃ。再びレジに戻ると返してくれます。彼女の言い分は、尋ねたのはセルホンでもスマホでもない。「ハンディー」とか行って返してくれる。 携帯電話のことらしいが最近は使わない言葉、彼女の意地悪か、あるいは?と思うが戻ってホットとします。セキュリティロックが掛けてあるので、使い物にはなりませんよ。
 夕食は町に出かけて、小さなイタリアンで、サラダとピザ、そしてビール。

6月18日  ノインシュバンシュタイン城

 朝食は私一人だけ、泊まり客は他に家族4人組がいたけれど自炊でしょう。
今日は」ノインシュバンスタイン城に行く予定。予約をしておくと待たなくて良いとかで、日本でWeb予約をするが、本券の引き換えは9:30までにせよと書いてあります。入場の時間は11時ですので、急いで来た時と同じレヒ川を渡ってシュバンガオのチケットセンターに行きます。勿論自転車道路で快晴と朝の涼しさは快走です。
8:30時にチケットセンタで本切符をもらって、急な坂道を小一時間かかって登ります。
山道を歩いて行くと近寄ると黒い煙が上がります。なんと馬糞がに群がるハエの大群です。ほとんどの人は、バスか馬車ですのでこの洗礼を受けないのが正解です。11時の入場まで2時間近くあります
  まもなく入場頃になって、谷を隔てた渓谷に釣り橋が見て、ハット気がつきます。あれは写真の最適スポットマリエン橋ではないか?まさか、同じ標高にある橋とは考えもしなかったです。2時間も待たなくて良かったのに、悔しいけど帰りに行くことになります。
標高差と同じマリエン橋
 いよいよ11:5分入場が始まります。20人ほどのグループでそれぞれオーディオガイドを貸してくれます。内部撮影は禁止では、何の印象も残りませんね。ワグナー歌劇ニルンベルグの指環をご執心の方にはたまらない魅力でしょうが。むしろ私にはバイエルン王ルードビッヒ2世の財力と心の内の方が興味あります。
マリエン橋から見た城、本当に撮った写真ですぞ。
まさしくテーマパークのお城。

6月19日   ロマンティック街道 SchwabgauからWaal

今朝は広い食堂で3人のゲストとそれぞれ朝食、私は心置きなく昼食を作って、出発です。 出発はロマンティック街道の終わり地点のシュバンベルグのお寺の庭からスタートです。
シュバンガウの温泉の入り口

ツークシュピッツェ2962mか?

遠くに見えるは、ノインシュバンシュタイン城?
ここらあたりでロマンチック街道は
左手にわかれほとんどの自転車は左手に行きます。

 道はロマンチック街道とドイツアルプス街道と分かれると地図に書かれていますが、私はヴィース教会のある方向の道をえらびます。 もっとも教会までは100mぐらいの登りらしく敬遠してランツベルグに向かって進みます。レヒ川に沿った道をMaps Meにいれておいたのです。17号線に平行して自転車道路がありますが、道標などはありませんロマンチック街道ではないのでしょう。
ゲストハウスツァポスト

今夜の泊まりは、ランツベルグではなく途中の田舎町Waalにあるゲストハウスツァポストです。17号線を西に折れ一つ丘を越えて行きます。
4時過ぎに到着ですが、ここでも扉は閉まったまま、フロントのカへテリヤは埃をかぶったまま、
呼び鈴を押すと、かなりの老人が出てきて別の建物に案内してくれます。すり減った鍵穴で開くかどうか調べてから老人を帰します。1階は倉庫で2階の部屋は4つほど有りますが客はいません。部屋はスイートで、トイレシャワー付と言うことです。
ドイツでは小さなホテルでもほとんどスイートで快適です。

 さて、晩飯はレストラン探しに出かけます。小川か流れて水車などがあって、子供とお母が水遊びをしたりしています。 この近くに肉屋があっていろいろなソーセージが並んでいます。隣がレストランで田舎風がとっても優しい感じです。
閉店は何時までと聞くと9時までとのこと。
利発な村娘のサービス
7時過ぎに行くと結構お客がいます。メニューを頼むと看板をもって来ますがドイツ語でわかりません。彼女が翻訳してくれます。ステーキを頼んでサイドは何かジャガイモの甘く煮たもので、美味しいです。
ドイツに来てやっと5日目で美味しいドイツ料理を食べた訳です。


やっとドイツらしい料理にありつく。

6月20日  Landsberug >Ausburg

 朝食はガストハウスで取れます。結構お客さんはいます。元々ガストハウスの意味は一階がレストランで2階が客室といスタイルを云うのですが、私のような安い客は、別棟と云うことらしいです。思うに、ここはロマンチック街道の一部で、通りのにはロマンチック街道のしゃれた道標がありました。



 ランツベルグには20kmほどですが途中の村の教会の鐘がうるさいほど鳴りわたっています。鐘は出発したWaalの教会でも鳴り続けています。今日は木曜日なのに?
まるで、火事か出水でも起こったと思いますが。
 








ランツベルグの町に入ると所々に花絨毯が作られでキリストの像が祭られています。

ちょうど出来上がった所す。レヒ川までに4カ所ほど作られていました。
 
レヒ川の橋の上で、パレードがやって来ると教えられます。なんと幸運な事でしょう










レヒ川のダムの水量の豊富なこと、圧倒されます。いつまで見ていても飽きませんね。
ドイツの大きな川は、勾配があるのですが、一見穏やかな流れになっています。それは数十キロおきにダムがもうけてあって、船を通す為の多段可動水門があります。
 さて本日の予定はアウスブルグまで50キロほど。道はここからもロマンチック街道があるのですが、MapsMeで作った道を進みます。結果本当につまらない道でした。高速道路の横道や、兵舎の横の長い道。
この宿泊施設のフォトギャラリー
Unabelnahat Hostl home.
到着したアウスブルグは大きな町、明日ブルツブルグに行く切符を買うために中央駅は工事中で切符売り場がわかりません。聞いては見ても自分のイメージと違うのでわからないです。
おまけに現金が底をついてきます。両替は大きな銀行でもやらないらしい。やっと駅の構内にライゼバンク(旅行者銀行)があることを教わり、両替が出来ました。
 さてホテルですがG.mapで有るはずのHostelが見つかりません。側まで行くとG.mapの目的地が消えてしまいます。そのうち雨が」降ってきて益々混乱します。スマホばかり見て上を見ないので看板が上がっていても見えない訳です。一人旅は思い込みを修正する能力が低下して、度々ミスをしてしまうのです

6月21日 AusburgからWürzburg に輪行

 ブルツブルグへの列車は午後ですので、午前中に行けるところは、有名な福祉住宅フッゲライです。 ごく普通の長屋住居ですが、1516年に建てられた低所得者用の長屋です。500年前のものですが、保守点検がされ今でも立派に機能しで1€/月に満たない家賃だそうです。
モーツアルトのおじいさんが住んでいたこともあるそうです。

モーツアルトのお父さんの住んでいた住宅
ついでにお父さんのレオポルトの済んでいた建物もいってきました。展示館になっていますが、朝早いので開いてはいません。
午後、列車に乗ってブルツブル
へと行きます。
切符は丁寧な列車番号と乗換駅、プラットホーム番号が書かれた案内ページと切符が1シートになっています。前売り切符でなんだかサインが必要ですが、どうしてでしょうね。




 ロマンチック街道の始点にあたるブルツブルグに昼には到着。
ホテルは少し郊外の森の中です。レストラン併設の宿ですが、マリエンベルグ要塞に近い閑静な所にあります。

Ab ins Postkutscherl
ガスとホフ

併設のレストランは木陰の感じの良いところですが、2泊目夕食も町に出るのが面倒で、ここですましたのですが、メニューが物足りないので、やっぱり中心部の方がいいですよ。

6月22日  Wurzburg



マイン川とマリエンブルク要塞
 朝、ゴロゴロしていた目は両目とも真っ赤になっています。どうもサングラスをしていなかった性でしょう。橋を渡って対岸の薬屋さんに行きます。ドイツは薬屋さんが多い。でもUV対応目薬といってもなかなか出してくれません。医者に行けの一点張り。今日は土曜日といってもなかなかです。やっと1本出してくれました。効くかな?
ついで、マリエンブルク要塞に登ります。
ノイートア門をくぐって、自転車を立木にくくりつけ、急な坂道を登ります。
結構太っちょのおばさんでも悠々と登っていきます。
上には博物館などあるのですが、TwI(観光案内所)で喉を潤すファンタ代に代わりました。ロマンチック街道の地図もありました。日本語です。今までTwIには寄ったこともないのですが、日本語の小冊子もありました。
ノイトーア門から要塞への急な登り道
要塞の塔や博物館

12体聖人の守るアルテマイン橋の人通り
ノインシュミンスター教会と後ろに見える大聖堂尖塔

6月23日  Maintsu 

朝、ブルツブルグ駅近くにある朝、レントゲン記念館はまだ開いていない。X線は父親が子供のころ見た話が強烈に残っていたからです。
列車はフランクフルトを回避してライン川のマインツに行く。多分でっかいフランクフルトは高いホテル代悩ませられるだろうから敬遠です。

自転車やバックパッカーで混雑。
マインツには昼過ぎに到着。
先に、ホテルによってから、川の側のマリエン広場にいきます。
グーテンベルグ印刷の博物館があるけど内部は撮影禁止です。
思うに、ケチケチせずに写真を撮らせれば良いと思うのですが。
最後に、行った証拠に初代の自動ハイデルベルグ印刷機の写真を内緒で撮りました。
と言うのも学生時代の友人が日本のこの会社に勤めていたからです。

ハイデルベルグ社印刷機ですが、グーテンベルグとの関係は?

大聖堂前の広場はマインツアー.ヨハニスナイトの祭だそうです。出店で賑わったいますし、今日はライブ演奏があるので、おおきなステージも準備されています。


フランクフルトソーセイジの各種炭焼き。チョット塩辛い
さて、今日の泊まりはこの近く道路をへだてた小さなゲストハウスです。ちょうど管理人さんがロビーで洗濯していました。3時過ぎにはいなくなってしまうのです。

プチホテルハバナ 表道うりは少しやかましいがスイートで小冷蔵庫も有ります。
客室は6っぐらいですが、朝食は食堂はチャンとあります。

6月24日  ライン下りでのんびり 


 ライン下りの船KDラインの乗り場は、ホテルから道路一つ隔てた川岸に有ります。
8:45発のボッパルト行きで、乗船客は意外と少ないです。

でも、リューデンスハイムからは団体さんが乗り込んできました。ご多分にもれず日本人客も大勢です。











これがローレライの人魚姫
 呼び物のローレライは急流に浮かぶ岩の上と思きや? はるか岸の公園にある像です。これはまさしく騙しですぞ。船の日本人観光団の落胆の声があっちこっち。
思うにガイドブックにも写真等は出ていませんので、騙される方がお馬鹿さんです。
「なじかわ知らねど心わびて♪~」と歌う倍賞千恵子さんは知って歌ってますかね。?

船はこのローレライを過ぎてザクトゴアールで団体さんはすべて下船されます。まさしく弾丸観光のなじかわ知らねど心わびて♪~旅行ですね。
私は、終着のボッパルトまで行きます。
 ホテルに荷物を置いて、町外れのリフトに乗ってライン川の180°蛇行の見える山に上がります。



古城や大聖堂はありすぎて食滞ぎみですが、自然の総大さには感動しますね。
頂上の展望カヘテリア
  ホテルの帰り道駅に寄ってハイデルベルグへの列車の切符をコンビニのDB窓口で手配しました。本来普通列車でマインツで乗換ですが、直通もどうかと聞かれてOKをしたのですが、後ほど切符を見ると、次の駅でICEに乗り換える事になっています。ICEは自転車が載せられないと思っていたので、帰ってからホテルの彼女に切符を見せると、専用車両が付いているので問題ないとのことです。

 夕食は裏路地を探すと適当なレストランがあったので、相変わらずメニューがわからないのですが、エイヤー注文したのが、鶏肉のカツレツでタルタルソースで食べます。ここで初めてグラスワインを注文、水より安いワインは心配でしたが結構いけます。ライン下りの山間のの斜面に沢山ブドウが栽培されていてこの辺の特産とのことです。

多分鶏肉カツレツだと思います

6月25日 ハイデルベルグに輪行

ICEの自転車貨車で先頭の一両だけです。
ボッパルトのこのホテルガルニギュンターは80€ですが気持ちの良いホテルです。
特に、若い受付嬢は二人ともとっても親切でした。やっぱりホテルはこの程度はださないとダメな感じ。

列車は乗り換えでICEに乗ります。自転車専用車両は先頭です。乗ると、沢山自転車がぶら下がっています。多分オランダあたりから来たのでしょうね。

ハイデルベルグ駅に昼前に到着。
 駅前の駐輪場は怖ろしいほど沢山の自転車があります。なんで駅前にこんなに自転車が集まるのかよくわかりません。学生の街だとは聞いているのですが。まさか放置自転車?夜になると空っぽとは思えませんね。

さてと、ここに来たのは古城街道のをニルンベルグまで走る予定になっているのですが、駅前の観光案内で町の観光地図をももらったのですが、古城街道の自転車ルートについて、川ずたいだから、MapsMeで充分だと思い特に聞かなかったですが、日本語の出来る係員だったので、自転車ルートについてしっかり聞いておけば良かったのです。 MapsMeは古城街道地図の代わりにはならないことは、走ってみて気が付いたのです。
コルンマクト広場が旧市街の中心


ハイデルベルグ城へはケーブルカー行きます。ひと駅ですが、高いお金をだして、頂上まで上がってしまいました。たしか2回も乗り換えたようですが。実はほとんどガイドブックを読んでいなかったので、わからぬままでケーブルに乗ったのです。頂上まで行って、何もないのを確認しただけで、すぐ最初の駅まで戻ってきました。とりあえずお城には行ったのですが、何もありませんね。子供のようにケーブルカーに乗りに行ったようなもので、自分のアホさ加減にすっかりやる気なくして、降りてきました。


アルテブリュッケル橋を渡ると哲学の道
ハイデルベルグは大学の町、ゲーテやショパン、シューマンがこの町を愛したとかですが、観光客のごった返す町はそんな雰囲気はありません。せめてビファルツ選帝博物館ぐらいは行くべきだったと悔やんでおります。
しかし明日はネッカー川沿いの古城街道を走るので対岸の哲学の道によって行くつもりで、早々に橋を渡って新市街のホテルにかえりました。
 宿は、駅から旧市街と反対方向に20分ほどですが、住宅街にある貧相なゲストハウスです。行くと管理人がいて鍵を渡してくれましたが、その後はいなくなって、後続の客は電話をして、暗証番号もらってキーボックス打ち込むと鍵が出てくるようです。
夜中に暑いので外を見ていると、要領のわからない客が困っていて、1時間ほどいましたがあきらめてどこかえ行ったようです。 Etab am Kinikumとかいうプチホテルですが、98€もして、全くヒドイところです。もし電話のない人ならチェックイン不可といことです。旧市街の中にホテルをとるべきと、ガイドブックに書いてありました。すべからくハイデルベルグについては勉強不足で後悔しました。
 ビールを買って帰ってで夕方まで昼寝です。目が覚めて夕食にレストランを探したのですが、付近には看板があっても休業している感じで、結局インド料理の店でテイクアウト形式の安カレーを食べて終わりました。店のカヘテリアで、日本語を話すメッチェンといろいろ話をしたのですが、お母さんは日本人とかで、しょっちゅう日本行くそうでが、京都の桜を見たことがないとかで、是非いらっしゃいと言うことにした、1時間ほどおしゃべりしました。

6月26日 ネカー川沿いの古城街道に出発。

いよいよニルンベルグまで古城街道をサイクリングに出発です。
、哲学の道はゲーテやショパンでもないので、パスします。京都の哲学の道と比べて見るのもありかと思っていたのですが。
左岸の道は国道45沿いで切れ切れですが自転車道も付いていますが、一向に古城など見えはしません。対岸に道があるようでもない。
多分シャーデックス城だと思うが後方に確認する。


 古城街道と言うが、詳しい自転車地図を持っていない私、
案内所でもらったパンフの城など確認できない。 それに道標などない。概ね国道沿いの切れ切れの自転車道を昼過ぎまで走る。スタートから20K程のヒルシュホーンでやっと見つけたカヘテリア中に入ればパン屋さんだ。まず炭酸水とファンタを必死で飲む。
サンドイッチを作ってもらって昼ご飯. 

 今思うと、古城街道自転車道は、ネッカー川を右岸左岸を行ったり来たりしているようだ、エルスハイムで川は180度しているので近道のつもりで右岸に渡る。道はどんどん山側に登り、そして廃道を急降下することになりました。おかしいと思いもどるが、現実と地図が一致せず自分がどこかわからなくなる。1時間余りも行ったり来たりしたあげく、途中郵便配達の女性にきいて、もとの分岐点にもどります。
スマホ上の地図は、道をとり違えても、次々と目的地に向かって新しい道を開示してくれるので、決してUターンで戻れとは出ません。結果、ひどい山越えも指示するので、わけがわからなくなるのです。バッテリーの消費を節約して、分岐点をみすごすとこんなことになるのです。たぶんドイツでは自転車道が至る所にあるのでこんなことが頻繁におこるのではとおもいます。

 なんとか頂点のエバ-バッハ右岸を周り、ヘイルブロン方向に道をとり、ホルンベルク城を丘の上に見て、そしてやっとハスマースハイムのGasohof Adlerに3時過ぎに到着。
田舎町のプチホテルで感じの良い所です。
部屋に案内されたあと、ガストでビール頼んで一気飲み。

ガストハウスアドラーはまさしく田舎の宿屋。

夕食はこのガストで食べます。相変わらずメニューがわかりません。それではと「地球の歩き方」のドイツ料理の写真を見せてどれが出来るのか尋ねて注文。
ポークのソース煮込ですが、本と見た目は違うが、ポークの煮込みらしい。前に食べたソーセージや雉子肉の見込みも、カレー味の不味いソースです。
横の付け合わせのフライドポテトと思いきや、マッシュルーム+粉の麺でこれもいただけません。

6月27日 ハイブロンから輪行してローテンブルグ

エーレンバーク城 今ホテルです。
朝食時、いつもの様にサンドイッチを内緒でつくりますが、ジップ袋いりのパンがあったので、てっきりテイクアウト用に準備してあると思い、堂々とランチを作ると、女主人が持ち出し禁止のカードをもって来ます。「わかった!」返事はしたが、今更おいて行くには食料の無駄という訳で持って出ます。昼に食べたけど、実に不味いパンででした。
 写真の城は廃城で今ホテル、街道から道を数十メータあがるので、気にもせずパスです。思うにここらあたりのお城は特に案内板もないので、BikeLineの地図を持っていなければほとんど見過ごします。

 Heilbronnで列車に乗りSchrozberg駅まで輪行。北東方向20kのローテンベルグを目指します。これがまた、自転車道を選んだら深い森に入り込んで行き止まりの道に苦労させれれます。先行の2人を見つけてついて行きます。



やっと到着したローテンブルグの城壁の街
50mの登りがきつい

南のジュピタール門ここから町中にはいる。

ローテンブルグはロマンチック街道と古城街道の交差点です。街の外郭にたどり付いたのですが、入り口がわかりません。またもや行ったり来たり。とうとうわからずに聞くと城壁の門をくぐって中にはるとのこと。一気に広がる城閣都市。
 ホテルは門からわずか数十メターのゲーベルハウスです。裏庭は城壁があって観光客が回路を渡って行きます。
ゲーベルハウスハウス
ガストホフですがレスランは休業

6月28日

ご多分に漏れず、中世犯罪博物館に行く。
犯罪博物館は左の建物
 拷問の道具がずらっと並べられているが、こんな道具を作らせた人は特に女性を拷問して快感を味あうマゾヒストだったんでしょうね。そして職人はこんな残忍な道具を作る事を楽しんだ事でしょう。白状するまで数百日でも拘束留置するのと同じかも。

 城壁は先の大戦でかなり破壊されたのですが、世界各国からの寄付で再建されたそうです。日本人のレリーフも沢山あります。数十年後孫達がやっ来てどう思う?




二日目の夜、レストランで食事をして9時過ぎに帰って来ると玄関が閉まっています。確かどこかに、裏に回って木戸を開けて入れと書いてあったようです。ドイツ人の老カップルが手伝ってくれました。

6月30日 アンスバッハへ。


わずか20kmm足らずでアンスバッハに到着、ホテルは受付嬢が上手な英語で部屋を案内してくれます。とてもクラッシクの部屋で気にいりました。
一旦外に出て昼食をして帰って来ると、来客が待っていますが、もう誰も居ません。夕方5時まではチェックインが出来ない様子。来客数の少ないホテルはこんなのが当たり前。銀行もほとんどATMだけで、行員は2,3時間いるだけ。労働時間が少なく、賃金も高い社会は働き方改革実施済みということでしょうか。
アンスバッハ辺境伯の居城

 近くにレジデントがあって、一階は結婚式や、レストランがはいっています。2階がこのレジデントの展示室。マイセンのタイルなどが有るそうですが、案内看板は一切ありません、受付のオッサンが退屈そうにいましたが、パスです。

7月1日 Rothまで輪行してニルンベルグへサイクリング。


観光案内所でもらった地図。
ドウモ緑色が自転車道路らしい。
 昨夜古城街道のパンフを見ていて、ニルンベルグには直行ではなく南のRoth経由で行くのが、沢山お城のある正式街道筋になるようです。ただし、80kmにもなるのRothにはニルンベルグ経由で迂回輪行します。駅の窓口は開いていませんので、自販機で娘さんに頼んで買ってもらいましたが、何度かやり直しをして買ってもらいましたが、つまる所ニルンベルグまでの切符のようです。これでロットまで行くと乗り越しになるのですが、車内検札がくればドイツ人に買ってもらったという言い訳するつもり。Roth からMapsMeで、4カ所ほどの経由地を入力して進みます。結果はまったくだめで廃道に進んだりしてだめです。あきらめて直行してニルンベルグに到着です。自転車道を選ぶならもっと細かく経由地を入力しておかないとだめなようです。(ドイツでは至る所が自転車道で廃道に近い道も有るから)思うにGuRu Mapなら問題なかったかと思いますが、使い慣れていなかったので。


中央広場の美しの泉の塔
後ろはブラウエン教会
そんな訳で、ニルンベルグには昼過ぎに到着です。
ホテルはペグニッツ川を渡って中央広場の北の角の一等地に有るのですが、相変わらずうろうろ、目の前の看板がわからない。理由はやたら長いホテル名で、ゾラートホテルザクスニルンベルグゾラートですが、通称表示はホテルSAXです。1泊80€です。
大きなホテルは概ね長ったらしい名前をつけてあるので、呼唱がなんだかチェックしておかないとわからないですね。



泉の塔の金のリングを触って三回まわってワンで願いが叶うそうです。
私が願うなら何だろう。特にないのが哀しいですね。
子供達にこの塔の物語を話しているのだろう。


中央広場はカヘテリヤと出店でいっぱい。



 7月1日  ニルンベルグ裁判所とナチス党宣言

朝、ペグニッツ川を再び渡ってナチ戦犯裁判所を目指します。こんなおとぎの国のような町から、あの忌まわしい党が生まれるなんて。
でも民主主義や共産主義を標榜する国もナチもどきの党首はいますね。誰とはいいませんが。





戦争犯罪ナチの面々は右側
巣鴨の極東軍事裁判の新聞写真を子供ながら覚えています。
大きくなって子供ながら何故自決しなかったのかと思ったりする自分は何者とおもったり。
ナチス党大会会場跡
ドク.ツエントルム





    
円形広場で大歓声ナチ党大会が聞こえてきます。


 帰りに駅に寄ってニュンヘンへの帰り切符を買いました。途中下車の駅はニュンヘンとの中間駅レベンスブルグのつもりで全く反対のバンベルクを頼みました。

係の女性なんだか苦労して調べてくれています。どうして簡単なはずなのに?
要するに(京都から姫路行って翌日戻って名古屋に行く周遊でもない切符符)こんな買い方をする客はめったにいない。駅の発券コンピュータのプログラムも戸惑っているのかも。切符をもらって気がついたのは、レ-ゲンスブルグのつもりで反対方向のバンベルグ行きをたのんだのです。





聖ロレンツ教会




ニルンベルグソーセイジは有名ですが何処で食べたか記憶なし。
名店はストレートブルストホイレスだそうですが。

7月2日 バンベルグへ

生身の人間と思う?

レゲンスブルグとは逆のバンベルグは世界遺産の街です。ホテルは旧市街のほぼ入り口に有るチョットした広場のに面したところ。ホテルバンベルガ-ホフベルビューといいます。もし地元でこのまま云ったとすれば、通じますかね。

 ところで、ホテルの前の小さな噴水の周りに
8人の男がいる。一時間ぐらい生身の人間のパーホーマンスと思っていました。
チョット趣味が悪い。

大聖堂Domこの中が中世ドイツの有名な彫刻家
リーメンシュナイダー作++
バンベルグの騎士

ハインリッヒ2世とクニゲンデン妃の墓石

Neue Residenz とバラ園

レグニッツ川の畔はおとぎの国です。

川の畔のカヘテリアで昼食

燻製大麦のラオホビア-
度数はやっと日本のビール
骨付きすね肉煮込み3センチもあるでっかい。
食べれるかと思ったけど、完食です。


観光案内所の前の記念撮影
このジョッキほしいけど、重いです。
これをキンキンに冷やして...

7月3日 ミュンヘンに戻る


昼過ぎまでドナウ運河の沿いの森林公園をポッタリングして、駅に行きました。


列車は、先頭の車両が自転車貨物でぎっしり入っています。乗ったときはもっといっぱいでしたが、レーゲンスブルグで半分降りました。
夕方ミュンヘンに到着S8でハルベルトムースへに帰る。
例のホテルはビッグボスが黙って荷物預かりの30€から20€返してくれました。
もっと云えば、土曜の朝食代9€も返せと再度いいたいが、勝てそうにもないので諦めました。いっそ金を払わないでこの前の分だと言ってたべれば良かったかも。実は思いつかなかったのですが。

7月4日 ミュンヘンのレジデスに行きます。 夕方空港へ。


夕刻までミュンヘンのレジデンスの観光に行くことにしました。
駅の切符販売機でミュンヘン経由S1で空港という切符を買おうと思って、お兄さんに頼みましたが、彼もさんざんやってみたけどだめです。
結局ミュンヘンまでの切符で空港にはミュンヘンで買ってくれと言うことです。


ヴィッテルスバッハ家の本宮殿とかで1385年から1900年まで度々改修増築されたとか、馬鹿でかい宮殿です。
ゲーテ、モーツワルト、ナポレオンも訪れ華麗なる宮廷に驚愕したそうせすが、バイエルンの方々の城を見てきた私めも、驚愕しましたので、ゲーテ並みと言うことです。






北ドイツの空。
6時過ぎ空港に着き自転車をパッキングして、20時のチェックインを待ちます。
ヘルシンキは22:15着、0:045まで余ったユーロでチーズをたっぷり買い込み、黒ビールを飲んで、知り合った可愛い女性と1時間あまり今回の旅行の話をさも自身ありげに、話こんで時間を潰します。実際は失敗ばかりなんですけど。


7月5日

関空には4時過ぎ到着、自転車のパッキングがひどく破れていますがなんとか無事。
帰りの「はるか」で、メインの荷物を忘れて、翌日京都駅までとりに行きます。最後までミスのつきまとう旅行でした。しかし来年も今回仕入れた失敗の経験を無駄にするわけに行かないので挑戦しますね。それには体力維持に努め名変えれば。

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コメント

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  2. 河原 祥晁2019年9月8日 9:27

    9月8日再コメントしています。
    ロマンチック街道、古城巡りいい所てんこ盛り、付いて行けなかったのが残念です。

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  3. 楽しく読ませていただきました。本当にお疲れ様でした。私も同じ様な所に行きましたが、忘れも有りますが、知らない地名が沢山ありました。もう一度行きたくなりました、電車で。
    イタリアは地方の小さな町でも魅力が有ると思いますが、ドイツも同じですね。次の紀行文楽しみです。タカオ

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    1. せっかくコメントをいただいたのに返信しないでごめんなさい。コメントの
      表示方法がわからず困っていました。本日ようやくわかりご返事を差し上げたところです。
       ところで、2020年は再びドイツに行こうと思ったのですが、チェコやポーランドなども新しい発見があるような気がして、拘泥しております。

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  4. コメントの投稿が動作しませんので、下記のメールをください。
    転記いたします。
    kzmts401@gmail.com

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    1. いただいたコメントの表示方法がわかりましたので、皆様よろしくお願いします。
      ところで、ドイツの自転車旅行のルートはEsterbauuerの地図を事前に入手しておかないと網の目のようにある自転車道路に、つまらぬ道を走らされて後で、がっかりしますね。

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