西四国 足摺-四万十-高知2013/05 


 
 5月連休も終わり我々老暇人の出番だ。四国は何と云っても四万十川
旅行ガイドは桃源郷のような美しい景色写真、アマゴやイワナの住む川。モズク蟹、ウナギ山菜もいろいろ。と美味しそうなそして忘れた故郷の感じ。
せっかくだから松山から西海岸を南下、足摺岬に行って、四万十川の河口から上流に向かって走ろう。最後は高知の桂浜へいって、市内の飲み屋で皿鉢料理をイヤほど食って。
の計画、もちろんしんどいカルスト高原はパスだ。





5月7日 22時5分 長距離ウイラーバスは自転車搭載拒否??

 京都駅バスターミナル受付、自転車は載せられませんと、若い張り切り係員の返事。
エッ-! そんな事。 前回は梅田から宮崎フェリーで、バスは南港まで問題無く載せてくれたのに。ネットで確認をとって置けば良かったけど。どうせ空いてるからと確認をしなかったんです。
この係員、スマホを出してネットにチャンと書いて有るとさも得意げに説明してくれる。
こちらはいまさら帰れと云うのか?ならどうすると開き直るまでもなく、恩着せがましく載せてくれることになりました。 次回からはお断りとのことですが、だって連休明けがら空きですから。載せたってなんの問題もないはず。次も乗ってやるさ。
車内はすでに就寝モード、フードをかぶって眠る。途中トイレ休憩はあるが気にならない。突如の轟音で目が覚める。どうも尾道からしまなみ海道大橋を渡っているようだ。トラックに追い越されたのか?まさか海に転落か?

5時前来島海峡の見える大島南ICで夜明け。沢山の島々が朝もやの海に浮かんでいる。
6時半松山駅近くに到着、自転車を組み立て出発の起点松山駅に行く。新しい駅舎はなんの情緒もないです。

5月8日 7時松山駅出発 

 とりあえず西の海岸を目指す。松山空港が邪魔で海への道は伊予町を過ぎるまで古い街道筋をごちゃごちゃと進む。
ようやくR378は海岸線を走り出し、広い海の向こうはとびしま海道の屋代島らしい影が映っている。しばらくて双海シーサイド公園に着く。このあたりは夕焼け小焼けラインと名付けた海水浴で、ビキニの彼女とのデートラインらしい。 もっとも5月では誰もいない海、施設も閑散としています。 観光セクターは無理矢理赤とんぼの唄の碑をつくったり、愛鍵だらけの見晴らしデッキを作ったり、なんだか空々しい。 

 さらに、海岸線を進み伊予長浜駅手前の喫茶店で早めの昼飯。
肱川河口を渡ります。川をさかのぼれば大洲ですが,さらに海岸線を下り佐多岬半島の付け根の磯崎から何度もトンネルをくぐって八幡浜市に向かいました。
実はこのトンネルには地図上旧道の側道も七曲がりで付いているので、自転車は通れないのか心配でしたが,広い歩道もあり勾配もなく楽々と半島を横切り八幡浜の駅に到着。 実は佐多岬半島の先端まで行きたかったのですが、往復のスカイラインで、往復100k近いので敬遠しました。チョット残念です。
                          

八幡浜駅乗車の輪行は要注意。

八幡浜JR駅に2時過ぎに到着、ここからは宇和島まで予讃線に沿った山道ですので、あっさり輪行するこにしてあったのですが、八幡浜駅で実に嫌な思いをさせられました。
と云うのも、九州からのおじさんがいたのですが、彼はフェリーで佐多岬からここまでサイクリングして来たそうです。20インチ折り畳みで、どういう訳か輪行袋がいい加減で半分以上はみでています。折り畳みだから気にもならない感じですが、突如助役が出てきて、ガチガチの四十代中年助役、自分で作ったのか梱包違反事例を並べたコピーと突きつけて、違反すれば一切乗せないと云わんばかり。
私の方も、巾着方式の袋で後輪を付けたままの簡易型ですから、少しサドルなどはみ出ます。
 九州からのおじさんは輪行は初めだそうで、可哀想に必死でカバーを引っ張りますが,所詮ミニスカートですから、どうにもならない。まもなく彼の乗る松山行きが来て、改札でいっぱい嫌みを言われて,松山駅で輪行袋を買うことを約束させられて乗って行きました。

 私は1時間あとの宇和島行きに乗り込むとき、この助役は言い過ぎたのか多少弁解がましいことを云っていたのですが、触らぬ神に祟りなし、相づちをうって無事通過しました。チョット卑屈です。

どうせ、がら空きの特急列車です。四国JRが特に厳しいのだろうかと思いましたが、高知ではなんのおとがめもありませんし、注意書きなどもありません。岡山の新幹線などはわざわざ、広い改札を明け親切に通してくれました。
要するに、規則遵守が生き甲斐の助役さん武知半平太の子孫かも。近頃、珍しい鉄道員です。四国JRさん、是非表彰してあげてください。
宇和島駅に4時過ぎに到着。
宇和島YHのありかを案内で聞いたら、町まちはずれの小高い森の中です。
かなりの急勾配を重い荷物の自転車を押して上がるです。
正しく、森の宿と言う感じですが、ベットの布団の酸っぱい臭いはシーツが新くても気分はよくないです。
夕食は下の町まで自転車で降りていきます。ウイークデーで泊まり客はいませんので、話し相手もいないしので、駅前のビジネスに泊まる方が良かったのでは。



5月9日 7時半宇和島城から宿毛に出発

 宇和島城は藤堂高虎が完成させたとのことであるが、修復現存も工事中、。朝早かったので、歴史的背景をチェックできなかったけど、維新戦争の時は伊達氏が城主で外様大名といていち早く官軍側に着いたと記憶している。宇和湾が一望できます。日本百名城の一つだそうですが。日本に100も現存する城があるのですかね。



R56線に沿って山道を走る、途中お遍路さんにたびたびすれ違う。石丸トンネルを越えたあたりに大きな草鞋が立てかけてあるが、特に説明板が有る訳ではない。

車の少ない山中のことで、お遍路道を感じる。それにしても昨今車の多い国道をとぼとぼお遍路するのは自転車にすれば良いのにと思うのは,私だけではないのでは。

デモ、自転車じゃ文学にはならないでしょうね。

一旦海にでるも、津島大橋を越えすぐ山道、峠あたりで、鰹たたき御前のレストラン看板を見る。そう、これを食べなくちゃとひたすらこぐが、なかなか町すじには出ない、たしか後8㎞の表示があったけど。急に山が開けて平野部出ると道の駅がある。
オオ!山中で見つけた看板の店。
魚料理、定食もあるが、ラーメンもある。国道沿いはこんな物です。

とりあえず、アジののタタキ定食喰って走ると結構元気がでる。10㎞ほどで、御荘の交差点につく、石垣集落のある半島岬へのR320線の表示板と紫電改展示館の案内がある。飛行機好きの私、寄り道ではあるが、迷わず走り出す。




えらい登り。眼下の宇和海が一望となるがまだまだ。地図では2kほどですが馬瀬山公園頂上で、小一時間かっかた。

立派な展示館です。

紫電改について少し説明しますね。

昭和44年に征し採用された、本土防衛のための局地戦闘機です。零戦などより一周り大きく、本格的な防弾装置や、空戦ようの自動フラップをもうけ、数百機のB29を撃墜しました。松山航空隊に所属し、真珠湾やラバウルの歴戦パイロット達で本土防空に当たっていました。

展示館には、詳細な設計図や当時の日本としては革新的な空戦制御装置が展示され、この性能はグラマンなどの撃墜機を参考に川西航空機の設計者が必死で開発したようです。かっての私の仕事も同じような経験があり、技術こそ違え感じるものがありましした。
開発経験のの皆さん機会があえば是非いってみてください。この紫電改は宇和湾に沈んでいたのを、完全な姿で昭和四三年に引き上げて展示したそうです。


展示館のある馬瀬山公園はツーリングマップルでも最景勝のマーが付けられでおり眼下に見えるいくつかの湾には養殖筏が浮かび、山頂には回転昇降展望エレベータ塔などもあります。さらに岬先端まで走れば、石垣集落の景観ば見えるとのことですが、脚に自信がないのでいけませんでした。



 そんな訳で、もと来た坂道を時速40kで10分ほどでR56下りましたが、速度の速いのも恐ろしいです。さらに少し行って海岸沿いのR7を1時間ほど走って、宿毛市中の入りました。40数年前に、軽自動車で来たんですが、確か小さな田舎まちで、古い公務員宿舎にとまったことを覚えていますが、いまやその面影もない立派な広い町です。
宿泊予定の秋沢ホテルは7.5千円で立派な夕食付きです。お勧めです。


5月10日 足摺岬へ。午後かなりの雨

天気予報は朝から雨、でもまだ降りそうでない。秋沢ホテルを出て、R321を快調に走る。
大月町までは山側の道、海が恋しくなってろくに地図も見ないで海に下る。結構長い下り道、たどり着いた小さな浦尻という漁村、海岸沿いの東方向の道を聞くと、歩いては可能だけど、自転車を押して行けるほどの道はない。一応古いお遍路みち道標がある。 

あきらめて、下り分だけの登り,情けない、今回は地図を読むことが課題だったけど、大いに反省、1時間以上のロス。
R321に戻って1時間ほど進むと、ポツポツ雨。いつの間にか海に出る。国道は足摺サニーロードの名が付いて、竜串の海中公園に着くころには、本格的に降り出す。


竜串の広いレストランで一人、鰹たたき丼を食べる。不足だから売店でタスクを買うが、どの商品も最低価格380円です。普通コンビニなら150円程度です。正直気分悪い。
  一時間ほど雨のやむのを待つがやみそうにない、いよいよ足摺岬への西海岸に走でる。
雨も小やみになったり、やんだりするが,だんだんきつくなる気配。


サニーロードは、宿毛の南海岸から足摺半島の付け根で、半島中央のR348椿街道とR27西海岸線に分かれます。当然西海岸を選びますが、危険な断崖の道はトンネルができており、車での眺望が邪魔されます。自転車としてはトンネルを海側に迂回した旧道を走れますが、雨での落石、錆付いたガードレールなど、雨の日はとっても恐ろしい感じがする。


こんなところで、人知れず遭難死しても、2,3日は放置されるとゾクゾクするし、断崖に砕ける波もやたら迫力ある。 雨が本格的になって、風景を楽しむ余裕がなくなってきた。
やっと、民宿に上る道にたどりついて、自転車をひたすら押して上がって、椿井街道に上がる細道を登った丘の上の広い芝生の中に立っていました。


この民宿のご主人と奥さんやたら親切で、ビシャビシャの私をねぎらって下さいますが、後部荷台のザックの中身心配です。結果かなり濡れている。ザックカバーは着けてあったのですが、車輪に巻き上げられた水が裏側から進入して濡れた様です。



 

民宿の女将さん料理、田舎料理ですと謙遜ですが、なんのなんの!

この民宿のさらに上手にある国民宿舎は閉場しているのは彼女の性でしょうか?
ところで、学生時代の親友とこの民宿で再会。もっとも彼は車で奥さん同伴です。

5月11日、曇り後はれ、四万十が楽しみ。

足摺岬の先端は灯台と土産物屋と大勢の見物客。どこの有名な岬は全く一緒で苦労の自転車が興ざめです。 今後は、有名スポットはパスする勇気も必要です。
 唯一三十八番所金剛福寺があります。お遍路さんにはパスはできませんね。




岬をぐるっと回るといよいよ四万十川河口付近に到着します。河口は広く中洲などもあってなかなかの景色です。



どんどん、上っていくと中村を越えるといよいよ最初の沈下橋にでます。大型観光バスも来て沢山の観光客が渡って来ます。


 この沈下端から道はR340の細い県道になるのですが、車などはもうありません。川沿いの深い山道で、突然白い花が道一杯に散っている。

 エイ!白い桐の花ではないか。地面が真っ白な絨毯のようで台湾では、5月桐花節と言います。5月に降る雪なんて云う。広い道に風もないのにポトポト落ちる白い花は風情が一杯です。 戦前日本が油を採るために植えたとの話しもあります。だから油桐花ともいいます。
この辺は、台湾苗栗と同じような気候だから、沢山あれば観光資源になります。市長に手紙でも書くかな!見つけたのはたった一本ですので、山中には群生があるかも。




 この日は方々沈下橋が珍しくて、あっちこっち寄り道しながら川沿いのR340を走ったのですが、道は曲がりくねって、3時過ぎ、民宿までもうすぐと思ったんですが、行けども行けども、それらしいところに着きません。道は平坦に見えますが、やっぱり登りなんです。退屈で、且つ疲れました。
 5時前に民宿に到着。 ヤーひどく荒れた玄関口、廃屋かなと思う。四十過ぎの主人が一人、寂しすぎるのではないか。晩飯も昼前に作ってあった冷えた天ぷら、客一人主人一人の夕食。
これで6700円です。ご馳走は冷凍のアマゴを解凍せずに2時間かかって焼くのだそうです。
これは以外と美味しいです。ほかは、付き添ってくれた主人の地元の話しです。何とか退屈しないで食べれました。 

5月12日 江崎川から窪川に走る。最高のお天気。

朝食のネギ入りオムレツはやたら塩辛い。食べることはできません、塩が多かったかなと言う主人。
昼に買った弁当の卵焼き、とっても塩辛い。どうもこの地方の卵焼きは、砂糖でなく塩を入れるらしい。
さらに、桂浜の食堂で食べた親子丼もやたら塩辛かったです。
江崎川で右の本流を進む、やたら沈下橋あり。もう飽きちゃった。R381は土佐街道とある、平行してJR予土線もずっとある。ところが、一日中走っても列車は見かけない。
後で、時間表を見たらこの区間昼間は2本です。写真を撮るには5時まで待つことになるます。どなたか挑戦しては。きっと鉄ちゃんがうらやましがるはず。


この日は、R381から離れて蛇行する川道を選んだりして窪川まで行きR19でさらに上流に行くと良いのですが、R56を須崎に直進しました。ここまで、途中の蛇行寄り道が多くてすでに100K近くを走ったことになります。 もういい加減退屈です。
 思うに四万十川は江川崎にベースを置いて川の支流を探索するのが良いのでは。渡り鳥は体力がないと、メイン筋ばかりで、おおざっぱになりがちです。

5時過ぎ須崎につき何とかプリンスホテル素泊まり7000円に到着。
付属のレストランで、夕食を注文、脚の詰まるカウンターに座らされて、30分待っても、料理は出てこない。宿泊客サービスの生ビールにつられて入ったのです。
文句を言うとまだ時間がかかるとのことで、当然ビールはタダ飲みで出ました。
これはプリンスホテルの支配人に文句を云うべきかと思うが、タダでビールが飲めたのでツイートはしません。営業妨害はだめです。
 さらに、ホテルの部屋は清潔で冷房も良いのですが、浴室の床が一段下がっていて、踏み外して、転倒、浴槽の縁で顔を打ちました。怪我は幸いありませんでしたが、事故が起こらないのが不思議です。

5月13日 須崎から内之浦ー横波三里のスカイライン-桂浜-高知駅

最後の日になりました。高知桂浜まで15㎞程度、ラクラクチンのつもりで、いい加減に地図を読まないで出発した結果、3度も道を間違え引き返したりしました。
思うに、簡単な道筋と思っている時が、出発から間違えるようです。





コースは内之浦湾の外側、太平洋岸に沿って、桂浜に行く計画ですが。
いつまでも、内之浦の内側走っていて気がついて30分ほどバック、R42の別れに出て、 早速外海に出るための上りが続きます。やたら暑い、風もなし斜度8度の繰り返し、当然歩きです。平坦になってもすぐ上り。よせば良かったかと思うが、何とか尾根筋に到着。このラインは横波黒潮ラインと云うそうです。 早速小公園があって武知半平太の銅像が天空を背景に立っています。彼は龍馬の師匠で、思想の融通の利かない人であったらしい。最後は悲壮な獄中と切腹で終わりましたが、気の毒さに共感を覚えるのです。 このラインの終わりには三十六番札所の清瀧寺があるので、遍路バスでの遍路さんが数十人程度で、静かな絶壁と青い太平洋です。




内之浦の湾口にかかる宇佐大橋を渡ると、日本三大清流のに仁淀川河口に出ます。



さらに海岸線を桂浜に向けて走ります。
単調で、退屈なのは私だけでなく、その為か花街道など無理矢理作ってある様です。


桂浜は大大駐車駐車城と土産物屋群をようする公園で、龍馬の銅像だけで喰っているようなところです。近くにイルカショウもあるようで司会嬢のマイクが響いています。

国民宿舎が丘の上にあって、隣に県立の龍馬博物館があります。品のないアブスト建築です。入場料600円。当然パスです。
タダににすべきだと思いますが。橋本龍太郎の弟が知事のころ

作ったはず。センスないね。龍馬が嘆くとおもう。

桂浜からJR高知駅には浦戸湾の東側を行くことにして,浦戸大橋なる物を渡りましたが、大橋どころか狭橋で、車道対抗二車線、歩道は片側1本で幅四〇センチもありません。押して上るのですが自転車と平行で歩くのに、やたらペダルに脚がぶつかり大変です。車道など狭くて走れる余裕など全くなし。 もっとも下りは、車列の切れ目を狙って一気に走りくだりましたが。
浦戸湾東側は産業道路で、なにも土佐らしき物はありません。ならば戻って西側を播磨や橋に向かっていくのが常識という物、高知市街の案内など見てはいないので。

高知駅は市電の停留所もあって、昔は情緒もあったのでしょうね。再開発で、近代駅広場。気に入りませんね。
高知城と市内散策と思っていましたが、なんだかその気にもなれず、
土讃線特急南風16号岡山15:41、新幹線のぞみで6時過ぎには大阪に帰って来ました。
途中、大歩危、小歩危を車中から見たのですが
やはり自転車でないとダメです。
車ももってのほかですね。

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