ダナンからハノイ2016/2



 

2016年の冬 暖かいベトナムに行くことにしました。そして点在する世界遺産を見て見よう。きっと広々とした水田にある古城は悠久のロマン感じさせてくれるはず。
 ベトナムの歴史を少しばかり読でみましたが、数ページで投げ出しだしはしましたが、とにかく行って見よう。自転車で世界遺産を巡る旅です。 
楽をするために、ベトナムのダナンからハノイへ3週間1200kmの旅です。南部はまたの機会にしよう。
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2月12日

  関空からベトナム航空は、6時間でホーチミンに到着、入国審査後、荷物を一旦受け取って国内線へのカウンターを探す。うろうろしていると、アオザイ姿の女性がダナン行きの乗換客の荷物の転送を手配してくれています。これは助かります。
 お次は円の交換です。3万円を交換すると6百万弱のドン札を目の前で数えてくれますが、あとで計算するとどうも合わない。ごまかされたのか?レートが悪いのか?お上りさんの典型ですな。1万円だけにすべきです。*1

 次はSIMを購入、3つぐらいのテーブルのうち、英語のよく通じる女性のところで購入。小生2人とも英語は駄目ですが、ベトナム語よりわかります。いろいろ聞いて一ヶ月使うということで値段は約220万ドン(約千円)のSIMを買いました。2Gのつもりですが、ずいぶん安いです。*2
 
 ダナン行きの便は4時間待。フォ-とか云うベトナムのそうめんを初めて食べる。上品な味で美味いけどとっても軽い。酸味のつゆのせいか前の付け歯が2年ぶりにとれる。何でこのタイミングと後々の写真の笑顔がだいなしです。
支払いはウエイターに50万ドン札を渡すと、お釣りに各種紙幣を持ってきました。親切ですね。ひまだから河原君とお札勘定のお勉強をします。0の数が多すぎて難しいです。 100,000か10,000の判別が難しい。

 ところで定刻近くになっても出発便の案内が出ない。欠航かいな?あっちこっち聞いて回って、ようやく1時間遅れという事を知る。何でボードに出ないのか??
 ダナン行きの8番ゲートで日本女性から声を掛けられました。彼女はNGOでダナンで物理療法の援助に来ているそうです。 ダナンの我々のホテルに近くに住んでいるのでタクシーをシヤーしてもらうことになりました。これで自転車の積み込みできる大きなタクシーを探す心配は無くなりました。

 ダナンにはPM8時過ぎに到着、早速彼女の案内で大きいワゴン車に乗る。
頻繁に警笛を鳴らし高速で走るこのタクシーにびっくりです。
ホテルまで10万DN(500円)程度です。仮に日本からネットで出迎えサービス付のタクシーを予約すると、なんと60$です。10倍ですよ。タクシーの数をみると、予約の必要などありませんね。

 ホテルはツインルーム3.5千円で、大きな自転車と荷物物を運んでくれたボーイに1000DNのチップ。よく考えると5円程度ですので、もらった本人はビックリポンでしょうね。
 ホテル部屋は広さ清潔申し分ありません。ただし、シャワーは電気湯沸かしがついていて、一人が使うと、後は水になります。時間をおいて使用することです。一応、立派な浴槽もついているのですが、湯を溜めるためにはちょろちょろ出して1時間ぐらいかかるかも。

2月13日

 今日は見知らぬ国での順応日にあてています。部屋に持ち込んだ自転車を組み立ていると、ヘルメットも手袋も忘れてきたことに気がついて、道路地図とヘルメットそれに手袋を買いに街に出てみました。
海側のホテルから街中へは長いロン橋を渡りますが、すごい交通量と単車の逆送、割り込み、警笛。恐ろしいです。まさかハノイまでこんな調子ではないでしょうね。

ハン川にかかるロン橋(竜という意味)
 ネットで探した自転車屋やっとたどり着き、一個だけあるヘルメットを買いました。30万DNと云います。正札は24万ドンですので、文句をいうとあっさり24万DNにしてくれました。
そこそこの商品で、1200円程度です。日本では6000円相当の品です。手袋は?無いとのこと
 さて、次は本屋に行こうすると、河原君の自転車は見事パンクです。それで修理の間に私だけで本屋を訪ねましたが、Gマップの指示点に行っても見つかりません。付近の人たちに聞いてはみましたが全然通じません。 
あきらめて帰るとまだ修理は始まっていません。空気をいれてテスト中とのこと。でっかいねじが突き刺さっています。河原君は合間に、G飜訳ソフトを使っておやじと会話しています。結構通じるようです。ただし、こちらの飜訳は通じますが、相手のベトナム語の音声入力はどうもうまくいきませんね。

パンク修理をしてもらう相棒河原君。
 本屋をあきらめてハン川沿い下っていくと、そろそろお昼。たくさんある軒下食堂は敬遠して、大きなレストランに恐る恐る入りました。彼女に色々説明を聞きながら無難な生春巻とバオミン(サンドイッチ)を注文。春巻きは自分で巻き込むスタイルですので、彼女の指導の下にしっかり野菜を巻き込んで、チリ甘酢を付けて食べます。あとで考えるとここが一番美味しかった春巻きでした。値段は2人で700円程度。彼女との会話も楽しんで安いものです。






 ダナンはベトナム戦争の時はアメリカ軍の最大基地があって、当時は新聞でよく名前が出ていたのですが、今では跡形もないそうです。 ならばホーチミン博物館にでも行ってみようと、Gマップで行くのですが、近くに行っても、さっぱり入り口らしきものは見あたりません。ようやく見つけた入り口は小さな通用門で、ひっそりしたものです。展示館は大きな2つの建物で、一人の女性兵士?が新聞を読んでいて、閑散とした感じ。展示も色あせてやる気なしの感じ、サーと見て帰ろうとすると2階も見ろとのことです。前の広場には戦車や飛行機が展示されていますが特に興味もない。
このホーチンミン博物館は各地にあり今や無用の代物ですが、なんっと云っも共産党独裁の国です。やめる発議などすると死刑になるかも?経済はドイモイで共産国とは思えない勢いです。
 
 
 夕食はNGOの坂本さんからメールで、ホテルから歩いて20分ほどのレストラン落ち合いました。レストランは昔のお屋敷のロビーと庭を使った粋なお店です。私たちは庭のテーブルで食事をすることにして、いろんなベトナム観光情報を彼女から仕入れました。ただ、ATMや銀行での両替のテクニックは聞いておくべきでした。その後、けっこうお金の引き出しにトラブルがあって苦労させられました。最重要情報ですぞ。後ほど書きますのでベトナムに行きたい人は最後まで読んでください。笑笑


 2月14日     Map1 B>A


Map1
  南に30km戻ってホイアンAに2泊して、街と王宮の世界遺産を楽しむことにしています。
ダナンの海岸線は白い砂浜が続き夏のリゾート地らしのですが、ホイアンへ海岸線はプライベートビーチ付きホテルの建設ラッシュで景観はよくありません。Map1B>A
五行山のエレベータ
 途中五行山に立ち寄るつもりがGマップの読み損ないで、付近をうろうろすること1時間。河原君得意のG飜訳ソフトで訪ねるが方向は指さしてくれるのですが。どうもぴったりしません。
結局、目的と違う寺に見物料払って入り「なんだ下らんと」愚痴ることしきりです。
ところが、もとの海岸線の国道に出るとちゃんエレベータ付きの立派なお寺が見えます。いまさら行く気はしないのでパスです。Gマップは余り丁寧ではありません。


  2時過ぎホイアンに入るとまさしく世界遺産の街です。ヨーロッパ人の多いこと。寒い国から暖かいアジア、それに物価も超安い、ホテルも手頃なプチホテルがいくつでもある。中世はアジアとヨーロッパの貿易港、日本人も千人近く住んでいたとか。
フォックアンHotel
我々のホテルは2.5千円ほど、窓なしですがお湯はたっぷり出ます。 問題はシーツの交換はない、枕は消臭剤を振りかけてあるだけ。 良いことは洗濯は8kg300円で翌日と思いきや夕方には届けてくれました。 



ホイアンのお土産通り、これだけ沢山並べて売れるのか。

遠来橋で日本人が建てたとのことですが、まさしく中国様式の橋




ドウボン川岸のレストラン、2階のカヘテラス、何を食った?まーいろいろですが、英語のメニューを頼りに注文しましたが、最初のホワイトローズは何でしょう敬遠です。大体予想に近いものが出てきました。


 2月15  Map1 A>B

 ここからミーソンの遺跡までピクニックです。 南西40kmほどですが街を出ると、初めて見るベトナム田舎道、緑色に光る水田、あぜ道草を食べてる牛たち。いくつものゆったりして川。あァ、トナムに来ているんだ! 


 村の入り口の屋台のおばさんにバイミー作ってもらい、フランスパンを縦にきって、ハムや焼き豚、サラダ菜、コリアンダー、にんじんを詰めて唐辛子ソースいっぱい塗ってそれに卵焼きも詰めて200万DN(百円) これは実に美味い。



そして昼前ミーソンの遺跡に到着、
入場券を払って構内バスに乗って中心の遺跡へ。



帰り道は村の一本道、車一台程度の幅ですが、お店などあります。きっと昔の道なんでしょう。
おなかがへったので、この娘さんにバイミーを作ってもらい、愉快な会話をしてしばし休憩。道がガタガタコンクリーで苦労しました。


 ホテルには六時頃帰る。さて夜はどこに食べに出るか?トリップアドバイザーを開くとまずホワイトローズの名が出ている。この近くだ。きっとハイカラなお店と思い期待して出かける。
 何だよ!典型的な大衆飯屋で、騒音、満席状態。それでもどんどん案内してくれるから、かまわず席に着く。ホワイトローズ意味がわかりました。



 薄く伸ばした餅皮を花びらのように巻いて、真ん中に川エビの粉を乗せた単純なものです。名物だそうで次から次へと観光客が試食におとずれます。勢のない食べ物、ご飯好きの私にとっては、お茶菓子程度ですが、具を包んだワンタン風なものも皿の中に入ってアクセントが付いています。

一番奥のテーブルはホワイトローズの生産現場、近所のバイトのおばちゃんたちです。
 明日はいよいよダナンの向こうハイバン峠越えです。さっさと寝ることにしました。いつも河原君は一瞬にして眠につき、朝5時のベルまでぐっすり寝ます。私は、3時頃目が覚めスマホで荒川強敬ポストキャッチを聞きます。ベトナムでもちゃんと聞こえますよ。

   2月16   Map1 A>B>C>D

 7時に出発、昼前ダナンを通過する時に駅に寄って本屋で地図を買おうと、恐ろしい交通地獄の中を進みましたが、本屋も見つけることが出来ませんでした。 1時間も無駄したんです。
再び浜側に戻ってひたすら北へ。前方の丘陵が海に突きだしているののがハイバン峠496mらしいです。産業道路としては、有料高速道路がトンネルで突き抜けいるらしいですが、バイクや自転車は通行できないので、この峠を登らされるのです。
この道は充分幅があって安全な登りです。観光バスも旧道の峠を越えていきます。 我々は当然途中から自転車を押して3時間かけて登ります。 頂上付近は霧雨でせっかくの景勝も見ることは出来ませんでした。晴れていることまれだそうです。
MapI

列車は峠下の崖を巻いて走っています。

景観は中腹まで、跡は霧です。

峠の古い展望台。日本軍も観敵所として使用していたそうです。

しっかり着込んで急降下です。途中のあった登りの自転車野郎ご苦労様です。

入り江の向こうがランコー村。下の地図でCの地点
   橋を渡ってラコン村リゾート海岸に入る。 どうしたことか私のスマホのGPSが動作しない。電波が弱い??。そういえば神戸三宮でも同じことがあったっけ。 MapsMeはオフライン地図ですが、現在地がわからなければ使いようがありません。低価格のスマホが自慢でしたけど、やっぱりこんな問題があるのか、河原君Asusのは問題なし。

 5時過ぎランコビーチリゾートホテルに到着、高級リゾートらしい、ほかにBooking.comで見あたらなかったので、1泊4千円です。ロビーやレストランは紫檀材彫刻飾造り。 部屋はプール付き。 オフシーズンで今は、客はいないらしい。 結果、実に最悪なホテルということがわかって来ました。
 近所にはレストランなどなさそう、しかたがないので、大レストランでボーイの監視付きで、2人だけど食事。あまり美味くない料理、細々食って、お茶がほしいといってもコヒーOrリプトンティー? ただのお茶?といっても簡単には出てこない。
 最悪なのは、朝食、メニューを持って来るので、ベトナム式、アメリカン、コンチネンタルから選らしい、セットものと思ったが一皿しか出ない。 コンチネンタルい至っては小さなフランスパン一個のみ。 
チェックアウトの計算書は161.5万DN,8500円です。ルームチャージが4000円ですからあの貧相な食事が4500円ということです。要するに我々だけのために、ボーイ、シェフ、給仕、そして大レストラン使用料ということです。ちなみにベトナムで4500円の料理は、5皿越える豪華なものですが。

美人でも泳いでいるなら許せるけど。ゴミ取りのおっさんがいるだけ。

  2月17   Map1 D>E
  

 とりあえず腹を空かしたまま、フエに向かう。国道なら56km、浜側を通れば80kmでのんびり行こうと浜側を選びますが、道は悪く食堂もなし、結局国道に出てブランチです。  



名前はわからぬ。

サニーA1ホテル

 田舎道を選んだ結果フエには6時過ぎに到着です。ホテルはごちゃごちゃした路地中なかですが、いろんなお店がぎっしり詰まっています。予約のサニーA1ホテルの部屋は4階テラス付き、タバコの離せない彼には最高の部屋です。お湯もたっぷりでます。3400円/2泊です。
Bun Bo チンです。

 夕食は、ボリューム満点  ゆで肉、もやしとくればガイドブックと見比べるとブンボーチンということらしい。食べ終わって出口付近にいた女子に声をかけたら日本人、同じホテルに泊まっているとか、大いに喜んで後で飲もうと言うことになりました。明日はここから120Kmにあるホンニヤンの洞窟ツワーに出かけるのだそうです。
 それでいろいろ旅の情報交換をしようと楽しみにしていたのですが、生憎と小生下痢が始まって動けません。河原君は出かけていきましたが。

  2月18

 出かけにバオミンを買っていきます。このフランスパンはパリとした皮で、中身はフンワリで、横に割っていろんなものを詰めてくれます。1個100円程度です。とっても美味しいので、出かけに買って昼弁当にするのですが、軽く腹持ちは期待できないです。フォーにしても軽い麵で、ベトナム人は痩せていて、アメリカ人の半分もありませんね。よくあれでベトナム戦争を勝ち抜いたのか不思議です。





今日は特別の日なんでしょおうか? きれいな衣装をきてイベント会場にでも行くのでは。

 さてフエには広い阮朝王宮のほかに、郊外にはミンマン帝陵、など3つの帝陵があり自転車で回るには最適ロケーションです。





  2月19  Map2 A>B

フエからDMZ近くのドンハまで78Km

 フエから国道を通らないで浜側の田舎道、水郷地帯のようなのかな景色、アヒルがいっぱいの池があっちこっちにあります。



土手で、しばし居眠りをしていたら中学生に取り囲まれました。
ハローハロー
 フエから96kmのDMZノ手前のドンハはベトナム戦争の激戦地だそうですが大きな街で、その痕跡など少しもありません。
ホテルの場所を聞いたおやじが高いからやめとけ、うちに泊りなと云っています。一泊4500円円で11階からの眺めは全面ガラス張り、浴室もガラス張り。昔読んだポルノ小説の舞台のようです。広いロビーにの受付嬢は日本語を勉強中とかで、ホテルの案内文を日本語に飜訳させられました。人なつっこくてとっても可愛いです。田舎の少女は日本人を同胞だと思ってる感じがします。


 2月20 Map2 B>C>D

 今日は40km先のベンハイ川を渡り、DMZ(17度線非武装地帯)です。もちろん今はベトナム戦争の残骸が記念物として残され、ベトナム国旗が掲揚され絶好の観光資源になっている地点です。
私たち青春時代はまさしくベトナム戦争反対の世界でした。今地帯を回るツワーは欧米人にとって回顧と哀愁のそのもので、大人気だそうです。

 いざ出発、強い向かい風、それに霧状の雨、いやな感じです。あんのじょう行けども行けどもそれらしい風景はない。さらに強い風、霧雨もきつくなる。緩衝地帯だろうか立木一つ無い吹きさらしの国道、突如GPSが逆方行を示す。10Km手前に東方向に分岐点があったけど。どうもこの道は新しく出来たバイパスで、ネット地図の更新がされていないようだ。 強い追い風で戻のは簡単、そしてまた強風と雨の中を上る気がしない。 今となっては返す返す残念です。 写真の戦車はネットから拝借したものです。 是非リンクっをクリックして私の行そこねたベトナム戦争を思い出してください。

 昼過ぎに雨も、風もやんで楽にドンホイに到着しました。途中、ベトナム式コーヒも楽しみました。この豆はベトナムの高地で栽培されており、チョコレートの味がする。テーブルの上でゆっくり抽出して、濃い液を下のカップに落し、あらかじめ入れたコンデンスミルクとまぜ、氷をいれて飲むのがベトナムスタイル。飲むと云うよりなめるという感じです。当然あったかいお茶も出てきます。






 2月21 Map2 D>E

ここドンホイから40kmにある世界遺産フォンニアン洞窟がある。
朝、自転車で出発し40km西に進むと、行き止まりがフォンニアン村です。
国立公園として、村の中央に広い駐車場をもつ広場があります。客引きの若いお兄さんたちが寄って来ますが、何のことかよくわかりません。
 さてどうしららよいものか? てっきり洞窟の前に入場口があるようなつもりをしていたので勝手がわからない。


 呼び込みのおばさんに引き込まれて自転車を預けて、切符売り場と船着き場に案内いしてもらう。150万DN+船代60万DN払っうと、すぐ船がでるとのこと。 何百隻も川船が待機していて、タクシーと同じチャータ方式です。 従って10人の船も、2人の船もいろいろです。
あらかじめ、FBサイトに投稿して、この辺の様子を尋ねいたのですが、「ベトナム語がわからなければ、ツワーに参加しろ」との高ピーの回答でしたが、行って見れば何のことはありませんね。馬鹿にすんな!と言いたいです。
ベトナム語なんてわからなくっても何の支障があるのですかね。





 3時間もかかるんです。川を上るのに40分、洞窟遊覧に60分、休憩に20分。
腹を空かせて帰ってきました。
自転車を人質に持っていってるおばさんのところで選択余地なしの昼食。正直骨ばっかりの肉?美味くはありません。犬が恨めしそうに横で待機しているのでチョコチョコやりました。あまり好きそうではなさそうな食べっぷり。 まさか同胞の肉とは思っていないでしょう。




この店は広場の一番奥まったところにあって、あまり客が来ない。
そんな訳か、とってもサービスがよい。つまり河原君とスマホでにやにや会話中。何の話をしているのか?
よく見ると結構美人ですぞ。

 宿は村の一番奥のタムタンとか云う民宿風ホテル。すでに1階に部屋が取ってあります。 広さは充分ですが、窓なしのあなぐら部屋、ベットはマットにビニールがくるんであるので、気持ちが悪い。それに遅くまで家族がやかましい。
ホテルはほかにも村の入り口付近にたくさんあっる。ここは安いのが取りえです2000円ですが。
外は日がさして風もあるので洗濯をする。干し場がないので、家族のスペースを勝手に拝借して干すが、 朝になってもほとんど乾いていない。湿度が高いのです。


 2月22 Map3 E>F>G

Map3 

 さて次の目標は、世界遺産のあるニンビンまで400kmもあります。列車に乗れるヴィンまで190kmあります。途中KyAnまで90Kmで一泊する必要があります。今回ここで初めて現地でホテルを予約しました。









ホンニアンの村を後に、10kmごとに5分の休憩のペースで進みます。
ホンニアンを後にKyAnに

 KyAnhの街は浜側に大きな製鉄と火力発電の街で、砂埃の立つ広い道路の両脇は漢字名の食堂や、カラオケ店が並んでいます。この製鉄所は中国が作ったのでしょう。 



 我々のホテルは街外れの5階建てのビルです。
ベトナムに来て初めて昨日ネットでとったホテルです。日本人は珍しいのかここでもフロント嬢の親しい歓迎を受けました。
4時過ぎだったので、フォンニアンで乾かなっかた洗濯物と新しく洗濯した厚手のシャツなどを屋上に干すことができました。ところが夜半から雨です。がっかりです。
夜、7時頃食事から帰ると、宿の夫妻が高級ウィスキーをすすめてくれて話をしようと言うのです。 英語は通じないので、漫画とG飜訳を使っての会話です。
結論から言うと、雑談はなかな通じないです、それでも奥さんはニコニコして亭主につきあっていたのには感心しました。


 2月23   Map3 F>G

 朝から雨、霧雨です。鉄道のあるヴィンまで103kmです。
今日も10km5分休憩のペースで進みます。起伏がないのでさほど苦ににはなりませんが、ヴィンに入る最後の20Km付近では、霧雨も本格的になり追い越して行くトラックの巻き上げる泥水煙で、悩まされます。自転車も荷物も泥だらけです。

 5時過ぎやっとヴィンの市内に入ると、若い日本人のチャリダーに遭遇、
晩飯を一緒にということで、連絡方法をFBにして、とりあえず分れました。

 予約のホテルの地下の駐車場ではドロドロのバックなど拭いてくれたりする若者がいて、いろいろ世話をやいてくれるのですが、一寸警戒して荷物は自分で持ってフロントにいきました。彼らは従業員かと聞くとそうだとのことで、一寸失礼なことをしたと気になります。
 例の洗濯物は、河原君が一計を案じて、部屋にある夏場に使う大扇風機を浴室に入れて、風乾をする。翌朝には着られる程度に乾いていていました。さらにヘヤードライヤで靴下を乾かすと5分で完璧と言うことも発見。
 彼が洗濯物の乾燥準備をしている間に、自転車を洗うことを彼らにたのむと、となりの食堂の主人が高圧洗浄ホースで洗ってくれました。10万DNです。 
 
 ヴィンの駅に行って明日のニンビンまでの切符を買うことにしました。明日3時間前に行けばいということですが、心配なので今夜うちに買っておくことにしたのです。タクシーで駅に行くと先客がぐちぐちと窓口を占領してなかなか進みません。そのうち我々ために、優先的に窓口を開けて対応してもらいました。
パスポートが必要とのことですがホテルに置いていると言うと名前と生年月日で、検索するとちゃんと検索できるです。これもびっくり。共産圏のセキュリティー管理は万全です。
ヴィンの切符売り場
  
2月24

出発まぎはに前輪がパンクしています。時間は充分あるのですが、2年前新品のタイやに交換する時に、堅くてホイールにはめられなくて苦労したのを思い出しました。 しかし今回はいとも簡単でした。理由は使っていると、タイヤも延びるで、直径が大きくなって楽にホイールにはめることが出来るらしい。

 銀行にご注意ですぞ! 
 駅までまでの道のりに、立派な銀行がある。早速4万円を両替することにして、電光掲示板のレートは193でずいぶんと高い。喜んで、受付の美人のお姉さんに頼むと親切に両替担当窓口に案内してくれて、たくさんのドンを目まえでわざわざ数えてくれます。すっかり安心する。
 ただ、目つきの悪い両替担当者オバサンは、また仕事が完了でないらしくレシプトをくれない。要求すると無造に書き付けのコピーをくれました。確認もしないで、列車に乗ってから、4万円分のドンを確認すると3万円分しか無い。書き付けには3枚の記載だけがある。最初4万円渡した時に、端が少し破れていると云って返されたのですぐに入れ替えはず。
 しまった!あれは作戦だったのか?悔やんでもどうにもならない。最初の美人の彼女の勘定に安心して、レシプトを確認しなかったのだ。 その後2.3日悔しくて悔しくて、はたしてあの二人ぐるだったのか?*1

ポータさんを頼んでプラットホームを横断し荷物を運ぶ
話は前後するが、余裕を持って駅に着いて、自転車をパッキング。腹が空いたので、駅前の飯屋で昼食。
 さて、心配ごとが一つあります。この大きな自転車2台。果たしてうまく満席の車両に乗せられるのか? ベトナムの人達は、到着時刻前にプラットホームで指定号車の乗り口で待機しています。沢山の荷物を持つ人は、台車を持った赤帽さんを雇って運んでもらってる様子です。
早速彼にお願いする。運んでくれるだけでなく列車を待って車中に入ってきて、座席まで運んでくれます。お代はわずか10万ドンです。


 ニンビンまで200Km余り、なんと5時間もかかります。退屈はしませんでしたが、例の札勘定で悔しがっていてたので。
ベトナム鉄道にしては珍しい新設のニンビン駅
 ニンビン駅自転車を組み立てて、ホテルまで1.8km。遅く着いたので、フロントで聞いたレストランは気に入らない、あっちこっち探すも全く見あたらない。変わった街です。このあたりは、大型の電気屋が並ぶ大阪の日本橋のような感じです。
やっと見つけた食堂は麵だけしかなく、後ほど、めったにないKFCのようなファーストフードの店でチキンバーガを食べる。久しぶりの堕落文明の味、結構うまいですよ。


2月25 

Map4
 さて、これから陸のハロン湾いわれるチャアン洞窟巡りに出かける。
ドンホイのフォンニアン洞窟よりスケールもあって、いくつもの洞窟の合間にお寺に上陸し参拝もする。 また周りの風景も沢山の寺あり、古都ホアール城も含めて、一帯が世界遺産なっています。










 そして古都ホアールへ。






 2月26   Map4 西60k

 このニンビンにまだまだ行くところは沢山あるので、3泊することにしました。
ハノイからは南西に直線距離で130kmの幻の胡朝城跡は、道のりとしては200kmもある不便な地にあって訪れる観光客はまれだそうです。
しかし、ニンビンからはわずか60Km、自転車で往復は可能は距離、ホテルに聞くと道も悪くて自転車で往復は無理とのこと。車なら、60$で行ってくれるそうです。
 1400年からわずか7年間で消えたベトナム歴史では短命の王朝、石の城は東南アジアで最大規模だそうです。なんだかロマンを感じます。発掘後2011年には世界遺産にもなったところです。
 九時過、黒いSUVに乗って出発、一旦北の古都ホアールを迂回して南に下ること2時間、なるほと村道はガタガタ道で自転車ではつらい道です。
運転手は無愛想で何もしゃべらない。やっと着いたところに、目的の城壁があるが、平気で行きすぎます。 何とか引き返してもらって、写真を撮ったしていると、やっと我々の目的がわかったようです。 彼は、ホテルの支配人からなんといわれたのか、いまだに疑問です。





博物館にいた土産物の売り子さん





やっとこの運転手ぼそぼそ英語を話します。なんだ話せるのか。帰り勝手に食堂につれて行ってくれ頼みました。
河原君は早速G飜訳会話です。何の話でしょうか?
トサツした豚もこうして見るとユーモラス。
 2時過ぎホテルに帰って休憩後再び、昨日のチャンアンから西にタムコック洞窟、ビックドン洞窟、バイディン寺などにサイクリングです。




もう一つ北西65Kmにクックホン国立公園があって、トレッキングを楽しむことができるそうです。宿があれば明日、ハノイへ行く途中に寄れればいいのですが。


 2月27  Map4 A>B>C
Map4

ここから、ハノイまで120km弱でのですが、急いでハノイに行く必要もありませので、途中のクックホン国立公園で一泊するか、香寺で一泊するかですが、宿が見つかりません。国立公園の周辺は地図上では全く宿もなく、昨日のように車で往復するしか手がなさそうです。
香寺は途中の国道筋でホテルは見つかるだろうと、出発です。そんな意味で最初はAH1をPuLyまで行ってから西の香寺の方向に走りました。

 香寺は水辺にあって、手前から沢山船がでています。屋台のお店もいっぱいで、縁日なんでしょうか。土曜日だからかも沢山の人出です。観光客というよりハノイからの行楽客なんでしょうね。
旧正月あけから3月までは大人気になるそうですが、なんだか平凡なお寺で金運向上の御利益があるとかで、こんなに大勢押しかけるのでしょうか?






 あとでガイドブックで知りましたが、ここから1時間半奥に船で行って、岩山洞窟の中の本尊の寺があるそうで、ここが、香寺かと勝手に思い、「何だつまらぬ」と早々にハノイに向けて出発しました。
 これからハノイに近づくにつれて交通量が増え、6時過ぎにハノイの入り口に達し、夜の恐ろしい交通量の中を北の旧市街まで走ることになりました。
不必要にバスやトラックが、後から警笛を鳴らします。とっつかまえて殴りたい気分です。 
何とかホアンキム湖の旧市街の入り口にたどり着きましたが、ここから二人ともスマホの完全電池切れ。あっちこっちで、聞きながらハノイA1ホテルに到着しました。これがもしもっと早く電池切れになると、どうなったか恐ろしい気がしますね。
運がよかったんです。香寺で入れたお賽銭の御利益があった訳です。

 2月28

 ハノイの見物は自転車をおいて徒歩です。見物よりまず重要な仕事があります。1日からハロン湾クルースに1泊で行く予約をしなければなりません。
昨夜、食事の帰りに近くのツワーオヒスに聞いてみたら、たった70$(8千円)です。
(あまりにも安すぎます。)日本でのHIS予約は92千円です。ダナンの坂本さんの話では、日本語の通じる大手のツワーデスクに行くように云われて2,3紹介を受けています。まずHISハノイに出かけて聞いてみました。
 ピンキリであるそうですが、HISで538万DN(27千円)のものを予約してもらうことにしました。結果は、大満足でした。個人旅行では日本から予約するのは得策ではなさそうです。日本のHISさんごめんなさい。
ホーチンミン廟前は天安門広場のような幅200mの道路


ホアロー収容所フランス統治時代の政治犯たち
いかに非人道的かという展示
ハノイを爆撃するB57 よくマーこんなことが出来たんですね。
もっともソ連製ミサイルで打ち落とされたものもある。
世界共産主義拡大にたいし、アメリカの恐怖がなした戦争です。

 2月29

 今日は、ヴィンで出会った学生チャリダー仁尾君と西湖をサイクリングする。そして、晩飯をごちそうする予定。何せ彼は学生で貧乏旅行中、豪華な晩飯をエールとして送ることに十分意味あり。我々も学生時代はそうだった。

彼は走るだけの旅行だけど楽しかったそうです。


 3月1

 A1ホテルはあと3日間の延泊をお願いしたのですが、ダブルベットの部屋しかない。まさか男二人でダブルはぞっとするね。 近くのアマンダホテルをとると800DN/1泊 A1は500万DNだから、きっと良い部屋でしょう。
今朝荷物と自転車をアマンダホテルに預ける。迎えのワゴン車に乗って一路ハロン湾へ。3時間かかって港に着く。すでに沢山のクルーズ船が待っています。
 ところで、我々のツワーのグレードは上クラスだと思います、お客さんも中年以上の欧州人ばかり、総勢20人くらい。説明は英語ですが、あらかじめ私たちの部屋には日本語のスケジュール表が置いてあって、特に困る様なことはありません。割高といわれる日本語のツワーを申し込む必要はないですよ。

バイヤー号のスタッフの歓迎式


ベトナム料理教室は揚げ春巻きです。
ガイドさんが春巻の作業手代に、私たちをドイツと日本の共同作業ね。と笑いをとった。そーだよ。「70年前一緒に世界と戦ったんだ」と云ったら一同大笑い
 「ベトナムは唯一アメリカに勝ったんだ」と云ってやればクルーに大受けだったろうと後で思いつくけど、残念無念。




ディナーメインはススキのマンゴーソース添え
バカバカ写真をとるのも。、はしたないので遠慮しました。

 3月2日


昨夜は湾内の入り江に停泊、ディナーのあとはイカつりがあったはず?? 一寸船室にもどって一休み、気がつけばもはや朝、アッパーデッキで太極拳、体が硬いからついて行けませんね。

 7時に朝食、そして港へとゆっくり戻っていく。なんと10時過ぎには豪華な昼食、しまった愚かにも朝食を食べ過ぎだったです。11時半には下船、ハノイに3時過ぎには戻りました。


 800DNのアマンダホテルの部屋は、床の絨毯がすり切れたひどいものです。他の客はもっと安く泊まっているはず。ハロン湾クルーズの予約が未定であらかじめの予約が出来なかったからです。
 
 夕方、二人ともドンがなくなって来たので補充の必要有り。まず河原君がコンビニの中にあるATMに挑戦するが、余り見かけない画面で、もたもたしていると、カードを取り込まれてしまいました。ビックリ!? コンビニの従業員に聞いてもわからない。 えらいこっちゃ、このATMの管理銀行をおしえてもらって急いで行く、事情を話しても冷たい応対、いろいろ聞かれてパスポートを持って明日午後5時に取りに来いとのこと。 わかったけど、とりあえず現金がいるので、このAVN銀行で日本円の両替をしようとレートを聞くと173とのことです。あまりにも悪い、当然やめました。 ホーチミンの空港で187でした。 ヴィンで193いろいろです。だいぶ賢くはなってきたのです。*1

 3月3

 タンロン遺跡に行く途中で、BIDV銀行の小さな営業所があって、外から見ると電光掲示板にJPY193のレートが見えたので1万円を両替することにしました。6人の行員は誰も英語を解さないようです。美人の係員はこりごりです。 しかし、193万DNもらえるはずが1/10ほどしかない。文句をいってもキョトンとしている。おもわず1万円返してと河原君がどなる。 私がスマホで計算式を示すとやっとわかったらしく再計算して193万ドンと少しをくれました。1桁間違っていたようです。 やっとベトナムの銀行に勝つことができたので、今夜は高級レストランで祝杯あげることになりました。(ヴィンではすでに1万円ごまかされていますが)

 それから、タンロン遺跡に行きました。 入場券を買って入ると軍事博物館とかで、やたらベトナム戦争の残骸が展示してあります。そして大勢の見学者。












艦載機スカイレーダ 爆弾装着の多いこと。
軍事博物館マーよく頑張った。
ソ連製のミサイル。B57を落とすです。
 改めて回り込ん100mさきのタンロン遺跡の入場門にい来ましたが案内板もありません。ベトナム語ではあるのかも。 きっと無料だと思ってどんどん入って行くと、やっぱり守衛に注意され、別棟のゲートに誘導され、ばっちり入場料を払わされました。見学者がやたら少ないのは理解できませんが。でも内容は魅力的ですよ。 改札機だけは立派です。 
 




。。v
アオザイは白が一番です。彼女らは卒業アルバムの写真を撮影中

タンロン遺跡では大学生の卒業アルバムの撮影がさかんです。
初めてみる白いアオザイすてきですよ。
 夜ホテルで河原君は取り込まれたカードのことが心配なので、日本に電話して支払い停止を依頼しようとするが、SIM電話回線は料金不足で繋がらないし、WiFiも駄目です。早朝WiFiが繋がったので、SkyPeで新生銀行に電話することができました。これで一安心です。

 もちろん翌日、夕方5時にはAVN銀行に行ってすでに支払い停止になっているカードを返してもらいました。 そのとき、彼女は別のカードは数十枚をもっており、集めているのかと聞くと、笑っていましたが、もし我々に帰国の日の余裕がなければ彼女のコレクションになるところです。


 3月4

 今日もまた一寸遠いですけど同じBIDV銀行に両替に行きました。彼女がどんな顔をするのか見たくてね。笑って両替してくれましたよ。
 ハノイももう3日もいてるのでチョット郊外に行ってみたいのですが、この交通地獄ではその気になれない。 それで、サーカスと水上人形劇に出かけました。ところがサーカスは休場らしい。ネットで調べて熊の演技が評判良かったので楽しみにしていたのですが。 道々ハノイの駅も行って見ました。ここは北の中国やラオスに向かう国際列車も発着するところです。プラットホームも沢山あります。どうやら夜行列車が多くて、昼間は閑散とした感じです。

昼間閑散としたハノイ駅
 帰り道、すっかりベトナム式コヒーが好きになりチョット一服。
白いレースのワンピースの彼女少し日本語が話せる。「今晩夕食にこないか」と誘うが、夜は学校に行くから駄目という。 日本ではこんなこと言えば、白い目で見られるのが落ちですね。ここなら友好親善ためですぞ。


水中人形劇とかで人形の下に人が潜っているのではなく。
背面の御簾から水平の板を使って操作している様です。
一弦の琴のようです。

 夜。飯に出かけ途中、お姉さんにつかまる。「いらネーよ!」 そしたら天秤担いで写真を撮れとのこと、結局買わされました。河原君も担がされて2個です。
帰りに、別のカモが担がされていました。彼女の才覚立派です。アオザイでも着ていればもっと稼げるのに。

 3月5
朝から霧雨、ノイバイ空港まで20kmほどです。
フライトは深夜0時20分ですが、ホテルをチェックアウトすると行くところもないのでとりあえず自転車で出発です。高速道路は通れないので側道を走るが、なかなか空港の国際線ビルに近づけない。
国際ターミナルは日本の円借款で作られたそうで、すべて日本製の最新機器が入っています。
もちろんTOTOのオシュレットもです。
待つこと10時間やっと夜るんの9時にチェックインです。
でっかい自転車にクレームが付くかと心配でしたが、自転車はVIP扱いです。
6日零時20分関空行無事乗ることが出来ました。



お上りさんのための役立つ知恵。


*1 現金の両替については、お札の枚数が多くて、勘定しにくい。
1回1万円のみの両替に限るのが正解です。よくごまかされるとのことです。レートの確認を忘れないように。
クレジットカードのキャシングは両替より有利だと旅慣れたおじさんに聞きましたが、トラブル対応のためには、銀行に併設されているATMを使うことをおすすめします。(日本でキャッシングの申し込みを忘れないように)

*2  ほぼ25日過ぎになってネットが出来なくなった。SIMは2GBのはずですが、ブランクのカードを見ると950Mと書いてある。説明はベトナム語ですからそれ以上わかりませんが。 安ホテルでもWiFiも完備してあるので、これで足るはずですが夜は回線が満タンで繋がらない場合が多多あります。それでSIMの回線を多用すると1GBでは足らなくなります。
空港のWiFiは接続出来ますが、ネットには繋がりません。 上のレストランでは別のWiFiですのでOKです。

 電話の方は、河原君が日本に国際電話を1度しただけで、以後国際電話は料金不足で繋がらなくなました。ところがベトナム国内は、最後まで河原君と私は簡単につながりました。よくわかりませんね。
国際電話は、WiFiが有効なときに、Skypeを使うといいです。(事前に1500円ほどチャージしておくこと。)深夜、早朝はWiFiもゆとりがあります。

ホテルの予約はBooking.comが大変便利です。ピンキリを紹介してくれます。バックパッカーやYHも対象です。
オプションツワーは現地で予約するのが得策です。日本からのネット予約はやたら高いです。ツワーデスクは観光地には沢山あります。

それでは、べトナムに自転車旅行を計画されているチャリダー諸君
幸運を!

来年の冬はオーストラリヤに行くぞ


コメント

  1. 楽しい旅行記です お元気でなによりです

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