五月の奥能登周遊2016/5

 長い五月の連休も終わり、やっと静かになった第3週の能登半島。
東京からの新幹線の開通で空前の賑わいとなった北陸路、恐る恐るの自転車の旅は、予想と違い靜かで、美しい能登の海を満喫しました。




5月16日(月)
 今週の天気予報は、出発の月曜だけが午後雨と風とのこと。
大阪駅で河原君と7時10分発のサンダーバード自由席に乗る。月曜とて、人気の金沢ということで、多少は混んでいるかと思いきや、悠々の乗車。
湖北あたりで真っ暗な空模様、やっぱりと思うが、余呉あたりから晴れ。
11時過ぎには金沢駅に到着。新装なった駅は、意外と落ち着いた感じです。
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 本日の行程は海岸線を羽咋の休暇村能登千里浜まで40kmです。
道は「のと里山海道」と名前を付けた無料高速道路で自転車はその脇道の自転車専用道路を走ります。のんびりと走れるのですが、欠点はすぐ隣の高速道路がやかましいです。
 
羽咋あたりの海 雨雲が近づいてきています。
 羽咋の渚ドライブウエイを越えて千里浜休暇村付近になって、急に風が強くなり、前方が霞んで見えだすと、瞬く間に目も鼻も口も、じゃりじゃりの砂いっぱい。雨もホツポツと降り出します。ホテルはすぐそばらしいのですが、なんとか濡れない内にと、必死に漕いで到着です。これで降られれば文字ドウリ全身泥だらけになるとこでした。


国民休暇村は国民民宿舎より一段高級で、部屋は綺麗し、酒はうまいし、姐ちゃんもそこそこ。 なかなか予約が取れないそうです。値段は9000円チョットです。

5月17 日(火)


マロニエの花です。昨年7月中、札幌から石狩川までの道で散った花がおがくずのように道にあふれていましたが、ここでは満開の季節なんでしょう。
能登千里浜
早朝のホテル裏の千里浜、すぐ沖は深く落ち込んでいて波が立ちやすく、サーフィンには最適だそうですが、監視と救助はないとの警告看板あり。

気多大社神門
 出発にあたり、近くにある気多大社で道中の無事を100円で祈願します。いつも無事に帰れるのできっとごりやくが有るのです。
戦前は国弊大社で要するに国営云うことですが、自転車旅行では必ずどこかの重文神舎にぶつかります。三十近くもあるそうです。




 志賀原発です。高い塀は最近作ったのでしょう。殺風景な監獄といった感じです。 もちろん稼働停止状態ですが。
原発のある地区では、交付金で立派な道や、観光案内などほんとうによく整備されています。
 昨年秋に酒田から秋田への海岸線の案内のなさにはびっくりでしたが原発あるところ観光整備ありです。志賀原発をと海岸の間の道を通り抜けて海を見るとると、警備の巡視船が沖合にいます。考えて見るとミサイル一発で大混乱ということになる訳で、恐ろしいことですね。






北前船の旧福浦灯台があるとのことで、行って見るとこんなのが有りました。


旧福浦東灯台

日和山(ひよりやま)と呼ばれる絶壁の上にある、日本で一番古い木造様式の灯台。慶長13年(1608年)に日野資信が持ち舟の安全をはかるため断崖上でかがり火を焚いたのが始まり。
福良港高台
 羽咋から輪島までの海岸線は、荒磯と砂浜にとんでいて地図でも次々と名前がつけられています。
福浦灯台>巌門>機具岩>増穂が浦>千ノ浦遺跡>弁慶の船隠し>やせの断崖>トトロ岩>皆月海岸>輪島海辺民宿
マイマップのリンク: 能登一周

輪島まで約75kmです。



巌門の穴くぐり。

機具岩(能登二見)
 神が残した置き土産という伝説がある、神聖な佇まいを今も残す機具岩。伊勢の二見岩によく似ていることから能登二見とも呼ばれています。美しい二つの岩がしめ縄で結ばれた神聖な佇まいは一見の価値があります。

増穂ヶ浦 長い長いベンチ
世界一長いベンチだそてすが、ここに並んで夕日を見るために作ったそうですのだそうです。これにアベックをならべたらギネスブックもビックリポンでしゅね。

 また、双葉百合子の胸像と岸壁の母の歌碑があります。
 質問:なんでここにあるのか?
舞鶴の引き上げ埠頭ならわかるのですが。
 
 お答え:何故かというと岸壁の母のモデルになったのは、近くの富来出身の端野イセさんだそうです。どこかに説明板があるそうですが。

海の向こうはロシヤになるから、毎日海を眺めているイセさんの気持ちもわかります
義経の船隠し



義経が48隻もの舟を隠した「義経の舟隠し」。源義経が奥州に逃亡する際、追っ手から逃れるために舟を隠したと言い伝えられている断崖絶壁の入り江です。
でも上から見れば一目瞭然ですから隠せないとおもいますが。
能登と義経、平時忠 悲劇の始まり。



あっちこっち寄り道して、6時前に輪島に到着。
今日の民宿は輪島の中心部をすぎた、民宿浜辺です。

 ちょっと愛想が悪いのが欠点ですが、料理も、部屋も良い。栃木からの女性団体様もお泊りで、わいわいと賑やかです。

5月18日(水)

 本日は能登半島先端の禄剛岬をぐるっと回って九十九湾の南岸にあるYHまで85kmです。
朝、宿の主人がキリコ会館に寄っていくようにと言われましが、どうせ開館は9時からなのでパスです。有名な輪島の朝市も少し戻らなければならないのでパス。結局輪島はただの素通りです。 
 出発して5kmほど国道上ると白米(しろよね)千枚田に到着。

 これほどまでの千枚田とは、すっかり観光風景になって1枚いくらでオーナーがついています。名誉会員には明恵夫人も参加しています。3日前に田植えがあったそうです。 一見の価値はあるかも。


海岸どうりから少し東側の道をいくと、上時国家があります。


本家上時国家は祖先を平大納言時忠に発し、隠れ平家の末裔ということです。 平らの名を、はばかって。時国と改名し奥能登の一大商家となり江戸後期に北前船の富で庄屋としてつくられた、かやぶき客殿です。




壇ノ浦から時忠の娘を義経の正妻にさせ結果義経を追悼させる歴史のロマンに興味のあるかたは以下のリンクをチェックくださいね。

上時国家  そういえば、新平家物語の後段は読んでいなかったので、再び、ひもとくことにいしますね。 義経のあほさ加減勉強になりますぞ。



 禄剛岬までの間に観光塩田が2,3か所もあります。とれた塩はお土産で高く売れるらしい。 

どうやら禄剛岬への峠の椿展望台です。
椿展望台170mの最大勾配18度

 ここで、下時国家から抜きつ抜かれつした自転車ツワー5人組、写真を撮って彼らにプレゼントしてやろうと、峠下から望遠を構えて待ちましたが、一向に登っていく姿がとらえられません。 途中で長々休憩しているのでしょうか?
それとも、とっくに頂上に着いているのか?
実際登って行くと勾配18度のつづら折れが2,3度あってほとんど歩きっぱなしでした。
峠頂上H174mです。

上のレストランで再開、アメリカから長野の友人のところに遊びにやってきたそうです。 もちろん日本の自転車ツワーのマイクロバスに自転車を積んで走ってきて、日本の海を見にやってきたそうです。
    写真を撮ってくれたのは日本人のガイドスタッフです。


このレストランというより飯屋の勝手定食。ビールがほしいけど我慢ですね。
彼らはここからどうするのかな? 珠州に泊まるとか?
我々はこれから先端岬へ降下です。

禄剛岬灯台


これが禄剛灯台です。広い芝生の丘に立つ灯台は平和すぎて物足らない感じですね。自転車は下の狼煙台の駐車場です。連れてくることができないのが残念です。



もう二時過ぎですが、宿泊予定の漁火YHまで40Kmはあります。 ちょっとがんば等らないと。

珠州市の手前の小さな町で見かけた信号機、なんでこんなところに遮断式の信号器があるの?






Webより
建物は2007年に廃線になった能登線終着駅の蛸島です。向こう側に線路があるはずですが、柵があって見ることができません。
 自転車旅行は意外なところに廃線の跡があってふと懐かしい青春時代を思い出させます。
殊州市内は立派なホテルもある町です。ここで再び5人組ワゴン車とすれ違いました。どうも岬には行かなかったようです。

見附島 別名軍艦島
おもしろい形をした島でしょう。沢山の観光客がいます。岸辺から石ずたいに歩いて渡れるようで、3,3人が島のとりつきにいます。






九九湾は結構長い海岸線を持っていて、円弧に沿って北から南までは2時間近く走らされて、 やっと6時過ぎ目的のYHに到着です。


九九湾の南の入り江にあるYH 漁師さんが経営とかですが、アルバイトの2人だけの接客です。
我々2名だけでちょっと物足りならしくしい感じ。
この船は、YHのオーナの持ち船で明け方には漁に出かけるのだそうで、さぞかしうまい飯が食えると期待しました。もっとも最近目立った漁稼ないそうですが。

これに加えること,アジの塩焼きとさんまの潮汁。
 YHの夕食ではソコソコです。 まだ来ないアジの塩焼きはこれで3日連続です。 さんまの潮汁は生臭くって、遠慮しました。でも料理方のスタッフさんは話好きでいろいろお話をしてくれましたのが、魚のかわりのサービスです。


朝日に輝く九十九磯

5月19日(木)

穴水町に入るとボラ待ち櫓がある。
漁師はこの櫓の上から海底に張ったフクロ網の上を通るのを待ち、網を通るとすぐさま引き上げる。この猟方は江戸時代に始まり、かつては、湾内に多数の櫓を見ることができた。 との解説で50年前まで使っていたそうですが、のんびりしたものか、あるいは必死だったのか?



ここで、再び5人組に出会う。車からの食料補給です。 こんなツワー親しい仲間とやってみたいけど。ツワー会社探してみよう。
さらに2日後の夜、高岡の町で散歩する彼らに会いましたよ。



 穴水市は城下町です。
古い町屋などもある趣のある町です。 
この蕎麦屋もちょっと趣があります。特に格好をつける風でもなく、淡々と営業している感じがいいです。



食べた、カモなんば蕎麦、量もたっぷりおいしかったよ。









高岡-穴水を走る能登鉄道七尾線です。和倉温泉が途中にあるので、結構本数が多い。


浜街道に再びでると、遠くに能登島にかかる大橋が見えます。浜側からいくか、山側から行くのが楽な方をと、考えましたが見事失敗でした。

能登島にかかるツインブリッジ
山側の国道249は意外と標高があり、且つ内陸部に入っています。橋の入り口にあたる道の駅付近にも能登島への案内表示が小さくあるのみ。ちょっといぶかりながら海側に下りますが、結構下ります。 しんどい思いをして峠まで登ったのが全く無駄でした。


 能登島の民宿は当初予定していたところが満員で、近くの千寿民宿に1日前に予約しましたが、値段を聞くと5100円、エッ- 2食付きですか? そうです。 電話をしてくれた河原君のいつもの癖で、「魚はあるのですか?」の質問も出ません。 あまりにも安い!!覚悟ををして玄関を入りました。
雑然とした大きな玄関はガラクタいっぱい。2階はホールの前に、大、中、小の浴衣とタオル、シーツが積み上げられています。勝手に選べとのこと。
フロントに降りていくと、風呂に入りに来た老人2,3がたちがたむろしています。
ここは温泉なんでしょうか? 
女将らしきお婆に追い立てられるように風呂場へ、大きな浴槽に苔のはえた分厚い発泡スチーロールのふたの間から爺様が首をだしています。洗い場では、人にかかるのも気が付かないでシャーをしている爺様もいます。
壁には温泉効用書がはってあります。 どうも闘病温泉之感じですな。
 さて出てくると、例の婆女将が何やらわめいています。 温泉ではなのですが、 炭酸水素水が大量に含まれているとか.今流行の水素水ということですね。 適当に相手をしていよいよ晩飯です。

 2食付き5000円の晩飯。イヤー豪華そのものです。 でもちゃんとおまけがついています。 足の悪い女将がつきっきりで椅子に座って、例の水の効用をしゃべってくれます。感心したのは、難しい病名を次から次えとならべたて、たちどころに直る万病改善水だすそうです。 圧巻はスプレーをもってきて顔に吹きかけて、鼻炎の解消と、美肌の創生だとのこと。
毎年くるという隣の夫婦は、毎回聞かされ耳が蛸だそす。 そういえば、足の水虫がおとなしくなっています。

5月20日(金)
朝、出発に際し、水を一杯持って行けとのお勧めですが、さすがに自転車だから20Lのタンクを積めないのが大変残念だとのこと。
彼女は、決して金儲けで言っているわけではない。信じる力がそうさせるのです。 河原君は奥さんをつれて再度やってくると約束していましたよ。
  今日は最終日、ずっと晴れでいい旅です。 高岡まで84km




能登島南側の大橋を渡ると、和倉です。有名な加賀屋も遠くに見えます。
我々は七尾市を縦断して、七尾城を目指すことにしたのですが、設定していた道は高速道路で、七尾城へはかなりの山城で、途中であきらめて戻ることになりました。 1時間をロスした感じです。


七尾城への山道の中腹より、和倉方面を望む

 さらに悪いことに、富山湾の西側に突き出ている七尾半島を横切る160号線に乗らず、半島を一周することになり、今日の行程は20Kmもオバーし、100km近くを走ることになりました。原因は予定したルートが高速道路だったりしたせいで、電池の消耗節約のためMapsMeもろくに見ないで走ってきたせいです。
氷見で昼食に海鮮丼を食べるつもりが、途中の須曽蝦夷古墳で非常食をたべてしのぐ有様です。
そんなわけで、富山湾の西側をひたすら走ったわけです。これが春なら雪をかぶった立山連邦が望める絶好のロケーションのはず。
そんなこんなで、高岡に付いた時は7時過ぎ、スマホの電池もなくなりました。何とか、予定の大仏旅館を見つけました。
素泊まりです。 紹介された居酒屋は良くない。わざわざ案内してもらったので入りましたが。経験から自分で探した方がよさそうです。

5月21日(土)

朝、高岡城公園から線路向こうの瑞龍寺にいきました。
加賀藩2代藩主前田利長(1562年 - 1614年)が、織田信長信忠らの追善のため、文禄3年(1594年金沢に創建した宝円寺(後に法円寺と改称)が瑞龍寺の前身である。 富山県唯一の国宝だそうです。 山門といい本堂すべてが重厚なむしろ鈍重な木造建築で圧倒されます。



金屋待町通り。
利長が奨励した鋳物の町、今でも生きているんです。そんな訳で結構おもしろいです。
お昼前、あいの風富山鉄道で金沢に。4時過ぎには、我が家に帰り着きました。
 後書: 七尾から高岡への道は数本あって、よく調べておかないと意外と無駄な苦労させられます。 本当は分県地図を持って行くのがいいのですが。




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