北海道道南 2016-07

 毎年の夏は北海道へやってくる。道東、道北、道央そして道南。
メルヘンのような余市ニッカウヰスキー蒸留所
一番内地に近いこの地方、イメージが本土に近い気がして、最後になりました。でも意外と美しい自然と人情の厚いところなんです。道南は江差から松前そして函館、幕府終焉の函館戦争の史跡は大いなるロマンのがそこにはあったのです。

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7月15日

 河原君と前夜関空で落ち合い仮眠をして、朝7:00のJestStar札幌行に乗る。重い自転車を空港まで持ってくるはこれが最適な時間割です。
千歳からはJRでスタート地点小樽に、昼前に到着できました。

 小樽駅で自転車を組んでいると3人組がやってきて輪行の準備を始めました。台湾からだそうです。
これから電車で旭川へ、そして美瑛に行くそうです。FaceBookで再会する約束をして分れました。

 夏の小樽は冬と違って閑散とした感じで、あっさり素通りして余市に向いました。
余市は、民宿も少ないので駅前旅館「德島屋」に泊まりました。 せっかくだから余市ワインを夕食にと、宿の主人に聞いて買いに出かけたついでに、ニッカウの蒸留工場に寄りましたがすでに閉門でしたが、少しのぞかしてもらい写真を撮りました。
 サントリー山崎とまったく趣の違う風景は、門からのぞいただけでスコットランドとメルヘンを感じます。



駅前旅館と云ってもずいぶん風格のある旅館で民宿では味わえない北海道の味を1500円のワインで楽しみましたよ。

7月16日

余市の駅は マッサンですっかり有名になり立派になりました。

 本日の日程は積丹半島をぐるっと回って余部の積丹YHまで52km余り。
余市から神威岬まで54km
途中奇岩のある断崖が見ものとのことですが、40年前は海沿の断崖に道があって、すばらしいサイクリングロードだったんですが、今では、トンネルの多いことトンネルの間に名所があるといった感じです。
それには40年前、大きな事故があったからなんです。

 出発してすぐに旧運上家と案内看板が出ていますので、取りあえず、海岸の方に道をとりました。余市湾の公園になっていて、



余市湾とシリバ岬

運上家のニシン御殿にが現れました。朝が早いので中を見ることが出来ませんが、外観はきちっと整備されています。


余市公園にある運上家ニシン御殿


しばらく海岸線を離れてサクランボの果樹園の中を走ります。
真っ赤に熟れるサクランボウの果樹園が続きます。

セタカムイラインR229
 果樹園の中を上る国道R229です。遠くは余市港が見えます。
ロウソク岩、よくも荒波に倒れない不思議です。
セタカムイ岩

 アイヌ版忠犬ハチ公の岩、遭難した主人を待ちわびて海岸で遠吠えをする姿だそうです。セタカムイはアイヌ語で犬のこと

 またこの岩壁をくりぬいた豊浜トンネル2,228mは今から20年年前大規模な落盤事故が発生しバスに乗っていた20名が生き埋めになり厳冬のさなか必死の救出もかなわず亡くなられた方の慰霊碑があります。
それ以来積丹半島にあった数十本のトンネルは全て、閉鎖され新しく長いトンネルが山側に新設されたのです。
そんなわけで、この積丹のR229号線はトンネル海道になってしまいました。


ところでぼちぼちお昼です。
早くから電柱に案内看板のある古平の寿司屋に誘導されてしまいました。
看板のおかげか大繁盛です。中身は値段の割にたいしたことはありません。 


名前?確か「新家寿司」とか云ったかな?

我々の食ったのは一番安い海鮮丼1700円
丼の周囲はイクラではなくタラコです。
 我慢をすれば次々とウニ丼の看板があがった食堂が国道筋に並ぶようになるので、我慢、我慢すべきだったかも。




 そのウニ丼街道を抜けると、積丹岬へは国道から海沿いの小山に向かって急勾配の道が付いています。
自転車を下に置いて歩いて登ることにしました。100m上の駐車場に付くと、海側向かって細いトンネルがあり、そこをくぐると岬に到着です。

積丹岬の島武意海岸

賑やかの観光客の皆さん。
積丹灯台

 岬から帰ってくると、自転車は倒され、フロントバックの荷物が散乱している。 誰ジャ??カラスなんです。せっかくのビタミンC飴すべて無くなっていました。
カラスがカア-カアーと笑っていました。

 積丹岬はしんどいわりにはたいしたことありまへン! 要するに半島の先端と云うことだけですね。
 余部の「積丹YH」に4時過ぎに到着、荷物を置いて神威岬に出かけました。
わずか2km先で気楽な気持ちで出かけてのですが、国道から上りH100m、キツイ登りで自転車を押して登りました。駐車場があって、そこからは、岬先端まで細い山道を30分近くもトコトコ歩くのです。
やっと到着した駐車場、ここからは歩きで先端まで。

岬への最初の門、女人禁制とある。
何故女人禁制かというと、昔積丹半島を船で回るのが非常に危険で、女を載せると、遭難事故が起こるとかで、ここから先は女人禁制としたとのことです。


延々と続く岬への道


神威岬先端 ここは圧巻です。

帰りは、ふたたび、YHまでは下り坂でわずか20分ほどで帰り着きました。


特注のウニ

YHの女将の息子さんは漁師とかで、取れたてのウニは特別注文です。800円です。私は遠慮しましたが、肴に目のない河原君、躊躇しません。私は写真だけ撮らせてもらいました。

7月17日

出かけは少しパラパラした雨もたいしことはなさそう。 話し好きの女将さんの見送りをうけ出発です。




 
本日の予定は99km先の寿都ですが、途中の見物を考えて60km先の岩内の先雷電温泉にしました。


ここまでが積丹半島のハイライトですが、トンネルとウニ丼と禁漁の旗と見物客で埋まっていました。
これからは、静かな積丹半島になって、長いトンネルがいささか恐ろしいR229です。




積丹のトンネルは概ねこんな感じで突き出た岸壁にできるだけ短くなるように先端に旧道のトンネルがあり、新道は内側に距離などいとわずどんどん掘ってある。


積丹R229には珍しい架橋
昼めしはいつもこんな感じです。宿で作ってもらったホタテ弁当とみそ汁。
泊村の原発近くになって、国道から離れて海側に下っていくと、泊村の鰊御殿に行き着いた。この積丹半島は、保存されているニシン御殿はずいぶんあるようです。しかしこれほど、整備復元されているニシン御殿は少ないのでは。
手前が明治27に建てられた川村家番屋で奥が大正5年の武井家鰊御殿客殿です。




子供のころ見た映画「ジャコ萬と鐡」はいまだに覚えています。1949年公開。小学生の時、姉につれられて行った記憶があります。
番屋の様子、ジャコ萬と鐡がしょっちゅう喧嘩しているのが覚えていますが、筋は当時としても理解できなかったです。

今調べてみると、三船敏郎、月形龍之介で監督谷口千吉、脚本黒澤明なんです。
リメーク版が10年後に高倉健と丹波哲郎で作られています。ジャコ萬と鐡
ご存じにかたいらっしゃるでしょう。

番屋と座敷がつなぎになっていて、戦前の封建時代の象徴のような作りです。


 帰りがけにこの門のすぐ外に一軒の新築屋があってそこの奥さんに会いました。彼女は後ろの武井家の娘で子供のころはそこに住んでいたそうです。そうなんです、ごく最近まで、鰊番屋に住んでいる人もいたようです。

 ところで、この泊村は原発のあるところでもあります。浜側にある原発を避けてMapsMeで自転車道を検索すると山側に迂回する道があります。 たぶん原発交付金で運動公園を作りた時の道でしょう。
予想ドウリ、海岸とは違った長閑の田園が広がっていました。

後ろのすそ野は羊蹄山らしい。
広い蕎麦畑



この爺様が主人です。
そして再び浜側の国道に出ると、なんと3千メートル以上の雷電トンネルに入ります。早く抜けたくて必死にこいで抜けるとさらに100mのトンネル。
そして、「三浦温泉」の立て札、車でも躊躇するような急坂です。途中で心配になって電話をしてみると間違い無いとのこと。
600m登って、最後の50mは押して上がるにも苦労する荒れた登り道、主人と猫の花子が迎えにやってきました。

温泉の娘花子です。


 老夫婦が経営する温泉民宿です。
温泉は男女の仕切りがありますが、簡単に行き来できます。要するに混浴です。露天風呂もありますが、苔が張り付いてぬるぬるでおまけにぬるい。いっそピラニアでも飼えば良いと思うけど。






苦労して登ってくる客のために、この豪華な料理、食べきれない。煮魚はピラニアではなさそうです。

7月18日

例のひどい坂を恐る恐る下って、再び2.3のトンネルをクグルると、寿都町に入ります。積丹の最大の裕福な町で、モダンな家が建ち並んでいます。
どうもここは積丹半島の魚介類、海産物の加工の町らしい。ウニ、アワビ、昆布、イカなどの加工品が立派な真空パックで包装されて道の駅に並んでいます。


道の駅 みなとま-れ寿都

政泊の弁慶岬の弁慶の像
義経が平泉を落ちて蝦夷に渡って再興を計ったの伝説。弁慶が同僚常陸坊海尊が連れてくる兵をこの岬で、待ったそうです。
    観光のために弁慶さんご苦労様。



民宿海の家
フラットな道のりで、らくして今夜の泊り瀬棚町到着。ここは奥尻島へのフェリー港でもあります。
宿は大きな「民宿海の家」ですが、遠来の観光客は私達だけ、どうも工事作業者達の常宿になっているようです。部屋に案内され、窓から海辺を見てやっと気がつきました。 町のキャッチフレーズが「紺碧の三本杉の町にようこそ」となっていて、意味不明だったのですが なんと、浜には3っの大きな岩山があり大杉の形をしています。

これが3本杉です。 ハロン湾のよう。

7月19日

本日は江差まで90kmほど、 朝起きて見るとかなりの雨、予報は曇りのち晴れですが、思わず沈殿しようかと思いました。
朝食時には雨も小降り。工事作業者の人達に習って、昨夜弁当を頼んでおきました。

昼前には晴れて来て久しぶりの青空、でも西にある奥尻島は確認できません。昼弁当を開けてみると、ご飯がぎっしり。おかずはコンビニで調達。
久ぶりの青空
今日はすばらしい、つまり追い風それもかなり強いです。
先端の鼻が江差だろうか?
昼過ぎには遙かに江差が見えて来ま

した。それに三本柱の帆船も見えます。商船大学の帆船だろうと勝手な想像をしましたが、とんでもない歴史の遺産であることがやがてわかります。
今夜は江差の古い「ふじや旅館」です。若奥さんやお母さんとっても親しい感じです。

7月20日

朝、お二人の見送りを受け5分も行かない内に、明治の江差の街に遭遇、そうです、綺麗に整備された町並み、もちろんそこでの生活があるのです。
銀行、郵便局、造り酒屋、洋服屋、釣具屋そして髪結屋さんもあります。








港に出ると帆船がある、復元されてた開陽丸です。この開陽丸は安政の大獄から明治維新までの戊辰戦争の歴史の主人公です。是非ウキペディアの交い開陽丸を」お読みになってください。開陽丸




明治維新に、江差沖で座礁沈没したのですが、遺留品の引き上げは3万点にもたっしたそうで、本体は設計図を元に復元されてここにあります。
そばに資料館などもありますが開館時間になっておらず見ることができませんでした。

江差唐松前に続く砂浜でおきに見えるは津軽海峡の大島
カンゾウ

サンマの蒲焼き弁当450円
北海道のセイコーマートで一番人気弁当がこれ、午前中早くも売り切れるので、今回やっと二人分買うことが出来ました。美味い!味対値段比はウニ丼に勝るよ。ケチ男の感想です。



松前城は江戸末期にロシヤなどに対応するためにつくられたそうです。
明治元年函館戦争のおり、土方歳三ら700名に攻められ数時間で落城したそうですが、その後昭和二九年に失火により消失。今は鉄筋コンクリートです。松前城
無防備な搦め手から上りで土方らに数時間で落とされたそうです
これはご存じ名物松前付けのお店です。立派でしょう、あんまり食べないですが。








 今夜の宿は予定していた松前市内の民宿が満員とのことで、町外れの町営松前温泉の近く「民宿はまべ」という宿です。



 ネットで食堂民宿とあり、期待していなかった宿です。 ところが行って見る小さな民宿ですが、新築でお母さんと娘さんのやっている民宿。
夕食もとっても美味しい、朝食にもイカ刺しがたっぷり出ました。御給仕もしてくれるこの優しさ。
このイカ刺し、朝豆腐売りのように自転車でイカ刺しを売り歩いているのにでくわし、大いに感心しました。早朝水揚げされてイカでっしょう。


7月21日

本日は函館まで100km近くあります。福島峠160mを越えると下りの平面です。 途中最初北海道最南端の白神岬では竜飛岬が見えるはず。
伊能忠敬上陸地点




本州と一番短い距離で、伊能忠敬が蝦夷測量のために最初に上陸した地点です。福島町吉岡と云うらしいですが、ちょうど津軽海峡トンネルもこの下を通っていています。




偉大なる横綱千代の富士の出生した福島町
ここから H160m 10kmのだらだら上りを下ると津軽海峡トンネルの最初の出口、知内です。新幹線を写す物見題がしつらえてあります。30分待つことにしてカメラを構えていると、5分前には車でみんなが集まってきて展望台もいっぱいです。




 津軽海峡から上がって来たと思うとチョット感激。せひClickして。

新幹線北海道最初の木古内駅
咸臨丸終焉の地サラキ岬
立派な木古内駅をすぎると、もうすぐ函館。
手前20kmサラキ岬で、脱走幕府軍の輸送船としてボロボロになって沈没した哀れ咸臨丸の終焉地があります。なんだか生き物の最後のような末路です。



3時過ぎに函館に到着、といっても函館湾は内側に大きくカーブしていて彼方の突端に函館山が見えます。市内をひたすら走るが信号が沢山あってうんざりです。やっと4時過ぎに国道と平行した長い陸橋を渡って函館山近くの民宿「長島」に到着。
 宿の主人が我々を見て怪訝な顔をする。明日のお泊まりではなかったか?と尋ねられます。
そういえば、余部から江差の200kmの間で余分に一泊する計画であったけれど、雨にもたたられず函館に一日早く到着してしまったらしい。
 取り合ず素泊まりならOKと云うことで助かりました。
さらに良いことに、この民宿は上級ホテル並みの設備が手作りしてたあって、居心地は満点です。特に感激したのは御影石と檜のお風呂でした。アー良い香り。 今夜の夕食は素泊まりですので、ネットで推薦の食堂に出かけたのですが、なかなか見つかりません。
三色丼 750円
GoogleMapのポイントを行ったり来たり、やっと看板を見つけたのは、想像とは全く違う小汚いホテルの横にあるお店。やめようかと思ったけど、海鮮朝場の口コミがある店で、穴場かと思って入りました。 
 広い店内は客は我々だけ。よそうかと思うが、生ビールが安いので、マー良いかと。お奨めのウニ、イクラ、イカの三色丼は格安で美味しい。 お年増のマダムも貧乏客に意外と親切です。ここが北海道のよさです。


7月22日

今日は1度来たことのある河原君の先導で、函館見物です。 


五稜郭は天守などは無いので、エレベータのある物見台から見学です。




その夜の民宿の料理 

食事がおわって独りでケーブルカーへ1250円(往復) 山頂の見物客の多いこと、なかなか写真の撮れるスペースがありませんでしたが、プロの記念写真屋さんのスペースをチョット拝借。すばらしいでしょう。

函館山から
この見物客の多いこと。

7月23日

函館には二泊したので、十分見物できました。
^^♪はるばるきたぜ^函館」♪をほどほどに、大沼までわずか20km余り。函館本線ものぼっている。



函館の庶民のキャンピング公園
客も二名だけど満室
行ってみると、函館からあまりにも近いので、観光客は宿泊する人も少ないのです。泊まった民宿も立派なホテル並みの部屋と設備がありながら開店休業のような感じ、数名の客しかいないのに、満室の看板。不思議??
それでも、2名の従業員は親切で夕食も作ってくれましたよ。



7月24日


当初計画は近くの大沼公園駅から洞爺まで輪行の予定ですが、せっかくなので、森駅まで自走することにしました。20kmほです。









途中自転車道なるものに入ったが、がたがた道

 そして、内浦湾の森駅に到着、ここから輪行です。






札幌行の特急列車です。普通車なんぞほとんどありまえへん。



小一時間の列車の旅です。
列車は楽でいいのですが、自転車と2個の荷物はうんざりしますが、ローカル駅は歩きが少ないのでまだまし。


でも到着した洞爺駅は陸橋を渡り、向かいの改札まで2回も往復して重い荷物を運びました。手製のキャリーを持ってこなかったのは失敗です。

洞爺駅はサミットのおかげで立派になっています。
 昼前だったので、駅前食堂でラーメンを食べたら、750円。おそらく北海道いや日本一まずくて高い店でしょう。洞爺の観光協会は上ばっかり見ているのではありませんか。一回食べてミー!! 他の店もないからしゃない?

広くて明るい洞爺湖

 駅から23kmの登りでトンネルをくぐると、洞爺湖です。湖岸の公園沿いにはいろんなアクティビティの店が軒を並べて、リゾート気分の温泉街です。
さらに湖岸道路を進むと昭和新山と有珠山に行く道の入り口に、「昭和新山YH」があります。
人気のない入り口を開けると、となりのホテルのフロントで受付とのこと。
今までの民宿と違ってまるでがら空きの官舎に泊めてもらう感じ、夕食なし朝食ありで5200円です。

昭和新山YH
 お客はこのメンバーと欧州人からの女性2名で、ユーティリティは2回の談話室のみ、電子レンジとお湯があるだけ。その他館内説明文一切なし。


かろうじてあった二階の談話室
赤いシャツの彼は高1で西宮出身。千歳でママチャリ2000円で仕入れて乗ってきたそうです。


晩飯は温泉街まで戻ってコンビニで購入。コンビニ飯しもたまにはいいもんです。ほしかった野菜サラダとかつ丼、おつまみ。掲示一つ無いYHですがビールの販売機はちゃんと動いています。みんな思い思いの弁当を食べながらYHの悪口をしきりにいいます。高1の彼はカップうどんのみ、そんな小食で、よく走れるもんですね。
 
 実はこれより前に、5km先の昭和新山麓まで行きました。


今でもかすかに噴煙が上がっているそうですが?
 昭和新山は戦中の昭和18年に畑が隆起して、噴火が始まったそうです。大本営は秘密にしたそうです。なんでか? 噴火の記録が生々しいので、是非Clickしてお読みください。昭和新山は私有地です。   昭和新山


7月25日

朝、朝食の時間をホテル側のフロント聞きに行く。誰もいないので事務室を開けたらえらいこと怒られました!
 「7時からと言ってある。」「聞いていない。場所も知らない。
本当に感じの悪いYHです。 これでも国際標準のYHだと表に書いてあります。
 実は次の支笏湖YHも、もっとひどいです。日本の若者が旅行をしなくなったので、経営努力しないYHはどんどん衰退していっています。日本のYH協会本部は改善する気もなさそうです。私は海外でYHを利用する会員ですが、バカバカしいので来年からはやめることにします。民宿の方がずっといい。


 今日は支笏湖まで60km余りで途中300Hの北沢峠もあります。ところで一寸休憩してるうちに、例の高1のママチャリ君にあっという間に追い抜かれて、みるみる内に見えなくなってしまいました。 自分も高校時代はあーなんだったんかと考えてみますが、思い当たる記憶もありません。
しかし未だに、自転車に乗っていると若者と同じ能力と云う感覚はあります。これは大いなる錯覚ですね。

支笏からのR453はニセコからのR276と部接合する部分に道の駅「キノコ王国」があります。スキーの帰りに立ち寄った事を思い出します。
ここのラーメンは美味しいです。



途中、鄙びた温泉を2つ越えて、支笏湖入り口に到着です。

支笏湖は洞爺湖よりはるかに自然が深く、美しい風景がたくさんあります。
それに、札幌や千歳から近く専用の自転車道も整備されており、こんなのが関西にもあればとうらやましいです。

恵庭岳


支笏湖温泉街
 支笏湖も温泉街がありますが、洞爺湖の湖岸と違って森の公園の一角に町があるので、とっても雰囲気の良いところです。

 さて、今日の宿泊のYHは外れの暗い森の中にありました。 旧館は閉鎖して裏側に新館がありますが、一向に人の気配はありません。閉館になった図書館の感じです。 管理人は町の喫茶店にいるとのことで再度町中に戻ってチェエクインをお願いしました。招かざる客といった応対です。 案内された館内は一部が建設会社の事務室になっています。でも意外と部屋は綺麗です。
夕食は作業者が返ってくる7時以降とのこと。 食堂と厨房は100人も入るくらいのでっかいものですが、 このYHは戦後昭和24年に青年の活動のために開設された最古のYHだそうですが、今や寂しい限りです。

7月26日

本日は千歳までわずか30kmほどで十分時間がある。従って支笏湖十分探索してみることにしました。
まずは、反時計回りで対面の丸駒温泉に行って見ます。

野鳥ノ森、山線鉄橋、恵庭岳、樽前山、風不死岳、苔の門など3,4日はあっちこっちにトレッキング。自転車ずきのお年寄りには絶好のリゾートです。いかがでしょう。 但し熊モンにはご注意とのことです。



途中釣りボートがいっぱい並ぶホロビナイツーリングがあります。これでヒメマスを釣るのですが、もちろん操縦もする。竿は六本以上。ちょっと考えられない作業ですね。6月には全部が出漁して大変は賑わいだそうです。

さらに、結構な登りでと急降下で丸駒温泉に到着。予想に反して立派なホテルです。

隠れ秘境温泉10傑
札幌から二時間もあればやってこれる隠れ温泉ですので奥様??といらっしゃいませ。湖岸に露天風呂も有るそうですよ。

さて元の支笏湖温泉に戻って、昼飯です。


チップを敷き詰めた散歩道気持ちいい。
姫マスの刺身を食べれば良かったのに。


支笏湖ビジターセンター
熊に会ったたらあわてずに、目をにらみつけゆっくり後すざりするとのこと。
さて、出来ますかね。にっこり笑ったらどうなるのでしょう。
熊モンよろしくね
姫マスって結構おおきです。
しばし昼寝をして、いよいよ千歳に向かって最後のツーリング。千歳川沿いを走ります。発電所があったり、マスの育種場があったり。ほとんど国道と平行に自転車道が付いています。多分昔の王寺製紙の軽便鉄道の跡でしょう。


支笏湖から流れる千歳川はずっと下流でも姫マスが釣れるらしい、結構釣り人を見かけましたが。


千歳空港には4時過ぎ到着、空港に自転車で乗り入れるのはハノイ以来ですが、ちゃんと歩道兼自転車道もついています。ハノイでは結構苦労したんですよ。




一階で自転車をパッキングして、空港ビルの四階へ、千歳空港温泉で、3000円払ってお風呂に入って明日朝まで仮眠です。 無料の朝食をとって

空港温泉仮眠施設
9:30のフライトで関空へ。
雨もほとんど会わず快適な道南の旅でした。








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