eBikeで行く山旅3 高野山>護摩壇山>生石高原2023/10/5-6


 2023/10 今年の夏は9月下旬になっても30度越え、深い紅葉を期待して10月末にeBikeで四国山間部縦断を計画をしました。それでeBike能力確認のため高野山から和歌山まで山岳走行170kmにバッテリー能力の確認の走行をします。

 ルート概略破線変更ルート

1高野山大門 2野迫川さわらび荘 3護摩壇山展望台 4あらぎ島 
4.5礼立峠 5生石高原 6和歌山駅

 初日の輪行は重いeBikeの輪行を最小にするためJR1本で新大阪>久宝寺>王寺>高野口と輪行します。鈍行で高槻8時出発で4時間かかって高野口に到着です。
 晴れの予報でしたが低い曇り空です。閑散としたJR高野山口待合で自転車を組み立てます。まずは昼飯としばらく走ってラーメン屋にはいりますが、麺の堅さのグレード、ネギの量など細かいオプシンを訊ねられますが、出されたラーメンの不味いことオプションなどより、スープの味をなんとかしてほしいです。
食べ終わって、走り出してヘルのないことに気がつきます。駅に取って帰すます。すでに1時間以上たっていますので、あるかないか心配しますが田舎の無人駅、ちゃんとありました。改めて出発ですが、昨日までの暑さとことなり、寒いのと雨も少し降り出し嫌な気分です。
 本日は高野山を越えて野迫川の民宿まで40kmで標高1298下り691mです。高野山までは九度山をとおって平均8%の登りですが、高野山本堂まではeBikeのせいかゆるやかな登りの感じ、セカンドのパワーも5割程度使用です。高野山近く山道はスカイラインになっていて大阪平野の山並みが展望できる道ですが、曇り空と寒さで気分が乗りません。
2時間余りで高野山の寺寺に到着、紅葉には早すぎる様で人通も外人さんのばかり。  
高野山大門












高野山の宿坊本通は、広く整備されていて
小学生の頃に林間学校で宿坊に泊まっただけです70年ぶり。チョットイメージはちがいますね。行き交う観光客は外国人がほとんどで、異国のようで不思議な感じがします。
もう3時すぎ、寒いのでうとんでも思って探しましたが、広に土産店の一角にコーヒブースで、お団子とコーヒでチョット一息、若い店員さんと高野山の観光客の少なさの愚痴を聞いたりして休憩です。
 店を出て右側のスカイライン側を選びます、4時近くになってほとんど通る車もなく、この寂しい道が正しいかと不安になって気ます。

寒々としたスカイライン後半

少しスカイラインを行くと野迫川への分岐、きつい登りで200m有るのかも、バッテリーをハイパワーにするのが心配なので押して上がります。電動を切った30kg近くの自転車は苦しい登り、2kmぐらいで暗い峠に着きます。後は猛烈な下りの連続。車など全く走っていません。カモシカが2度も飛び出してきます。夕暮の暗くなった山道パンクでもと、とっても不安です。1時間ばかり下ると予定の野迫川 民宿さわらび荘に到着。狭い谷間の一軒家、アマゴ釣りの宿らしい。標高690mの渓谷です。
 玄関を入ると亭主が部屋と風呂に案内。外見に比べて結構新しい部屋、空調の暖房もちゃんと稼働します。ろくな下着を持っていなかったので、これで安心して眠れます。風呂に入って食事は鴨鍋、それにアマゴの塩焼き、ピンク色の身結構うまい、過去イワナを何度か食べてたけど、遙かにアマゴのほうががうまい。亭主に言わせるとアマゴ釣りではイワナがつれると捨てるそうです。テーブルの前に陣取ったおばあちゃんが、野迫川村一帯の電源開発の土地買収の話や、夏にくるアマゴ釣りメンバーの豪勢な話をしてくれます。相づちを打つ我々の反応をひとり楽しんでいますね。もうひとりの客は、このあたりの熊野古道のがあって巡り歩いているそうです。十津川、熊野川、熊野本宮大社にたる熊野参道小辺路というらしい。
翌朝
 少しのんびり、弁当を作ってもらい出発です。予定の目的地護摩壇山1274mここは630m、反対方向のはなるが、平家の若武者平維盛の終焉の村が8Km東にあるので、ちょっと寄り道して行くことにします。たった8Kmの渓谷沿いの道、結構な登り下り、いかにも落ち武者の隠里にふさわしいところ。
 説明板には平維盛26歳が熊野水軍の別当田辺湛増に援軍を頼みまいらせるが、すでに形勢は源氏にありて援軍を出さず、維盛に娘を与えて厭世させるが、源氏の追討で逃げ回り、ついにこの野迫川村で61歳で亡くなったそうです。
早朝の山深い谷の村での墓標は頼朝の追討の厳しさを感じて哀れとロマンを誘います。

小高い維盛の墓標


屋敷を模した数棟平屋は展示館になっています。
予定に無かった早朝の村はこの旅行ハイライトであったようです。再びもとの道に引き返し、民宿のと野瀬川温泉のを通り護摩壇山への道へと進みます。

 そして、途中またしても歴史のロマンに出会います。つまり南朝の三代目の長慶天皇さんが、北朝の追手足利尊氏の追手のがれて、この深い渓谷をさまよい疲労と空腹で弓で腹を叩いておつきに知らしめたとの話、天皇様ともなれば腹がへったなどと、はしたないことが云えなかったしょう。それでこのあたりは弓手腹と云う地名が残されているそうです。
弓手腹のもの悲しい長慶天皇淩

 先に進むと護摩壇山の分岐の笹の茶でバイクに乗ったオッちゃんに出会い余す。チョット変わったバイク、スーパーカブの新型だそうです、いろいろ得意げに話をしてくれます。若者の乗るようなバイクでないのが自慢だそうで、高年層には大いに人気があるのだそうです。車高が低いからか??
 護摩壇山はここから往復数キロのだそうです。100mほど登り道の駅の展望台に到着くです。この展望台は300円、目の前に護摩壇山1372mと大阪湾まで見える山並がみえます。ただ残念ナことにガラス越しなので写真はうまく撮れませんでした。
3-道の駅の標高は1174m

展望台から見た護摩壇山1260m
護摩壇山には後百メータも登ればいいのです。ハイキングには大人気だそうですが、駐車場までは車かバス。
ところで、護摩の名前は逃亡の平維盛がゴマを炊いて運命を占ったからだそうです。そんな訳で、南朝の長慶天皇さんにしろ平維盛の逃亡の深い山、どんなに不安だったでしょうね。
  再び笹の茶の分岐に戻って下りる道はなんと標高差800mのあるひどい下りです。
かなり荒れた下り道の舗装はずいぶんと荒れいて「正平君の人生下り道最高」などいえる代物ではありません。やっとの事で、あらぎ島の道の駅に到着、標高はもはや230mで下りの起点笹の茶は1092mで距離30kmを1000m近く下ってきたのです。
展望台から西山並右端は大阪湾だそうですが


あらぎ島道の駅
もう2時過ぎですが、和歌山駅までの時間を考えて2度目の昼食をとります。なんだかずいぶんまずい天ぷら定食です。あらぎ島はこの道の駅の裏道を5分ほど戻ったところにありましたが、事前に写真で調べてあったせいかちょ音ものたりませんね。
4-有田川の蛇行で出来た棚田あらぎ島
ほぼ270度蛇行しているのは、有田川の見所です。そして整備されて段々畑が見所。

 ところで、最初の計画は生石高原に行く予定だったのですが、この暑い10月のススキはまだ見頃でなさそうと勝手に判断し、もう一泊の海岸の温泉をパスし一気に和歌山駅から「特急くろ潮」で新大阪-高槻の帰ることにしました。それにバッテリーも残り少ないようで、生石高原をパスすることにしました。
 ここから和歌山駅に直行するには。600mほど登て札立峠に行って、生石高原に行くか、降下して和歌山平野に下りるのです。最初の略図の破線が変更したルートです。この下り道も結構な下りで、ようやく和歌山駅ちかくまで来たところバッテリーが切れました。平道ですので、自力で駅にたどり着き、6時半の特急に乗れました。
 高槻についてバッテリーのない自転車で、自宅近くまで帰ってきたのですが、最後の坂道、押して上がるのになんども立ち止まりやっと到着。

後書き:

 高野山から野迫川に下りるの道はスカイラインを選択せず、野迫川村役場の方に下りると民宿も、食堂もあり、かつ維盛の墓所をもあり賑やかだったと思う。たまたま10月の3日、4日は気温が15度までさがり、ジャンパーも下着もなく、夕刻の山道に不安を感じました。
 生石高原は、ネットで見ると結構な高原で、パスするには余りにももったいないところのようです。計画とうりもう一泊してのんびりかえれば、思うにeBikeでの山岳走行は、夕刻になるとずいぶんと寂しい感じがして、やたらあせってきます。3時頃に到着する計画をしておくのも大切かも。
 帰宅後2日あと喉をやられて、咳が激しく2週間も苦しみました。熱が出たわけでないのですが。おかげで、10月末の四国石鎚からつるぎ山縦走計画を断念することになりましたよ。思うに、4月に城之崎に1泊のあとも、コロナになったかと思う発熱、夜間救急で入院肺炎で5日間の入院したのです。
8月の信州秋山郷も途中で渋峠越え草津温泉を断念したのです。やっぱり82歳の年寄りには、余裕のある山旅が必要ですね。
走行実績の結果報告
 eBikeの走行記録は179km 獲得標高4136m 登りはシフトギヤーを落としてLowPowerでのぼり、中間Powerを節約するとバッテリーの持ちはよくなる感じ。
バッテリーより体調余裕の方が大切というのが結論です。



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