国東半島磨崖仏>別府 2024年3月 


  70歳から始めた自転車旅行、コロナ禍で3年のお休み、80歳を越えて再び自転車の旅はeBbikeで再出発することにしました。自転車は10年間乗ってきたTrekクロスバイクをeBikeに改造してみます。過去人力自転車でハアハアゼイゼイと敬遠していた坂道なんと楽なことか。ただし、バッテリー切れが最大の心配事。試走の結果、そこそこ山路で100kmが限界、高い山なら70kmぐらいがバッテリーの安全限界のよう。これなら好んで山道を計画入れても大丈夫です。そして50代にかえります。

国東半島最大のイベント熊野磨崖仏
 そんな訳で再び河原君との80歳越えの旅は桜の咲く3月下旬の九州国東半島の決めました。ところがどっこい国東半島の春のうららかな海岸線と、太古の昔に火山できた半島の山にある磨崖仏を訪ねる旅は、最悪の気象条件になりました。しかし、eBikeのおかげで計画は八分道理走行だけは実行できました。ただ、ブログに書けるようなものではないのですが、記録のため書き送っておきます。

3月20日

 国東半島の摩崖仏と山桜を目的の計画です。ところが、3月にしては天候不順もいいと。出発の20日は昨日の大雨あがったって、なんとか曇り晴れ。気温は10度前後、強烈な10mの北風、最悪の自転車日和です。
新幹線で小倉から日豊本線中山香駅に昼前に到着予定でしたが、新幹線が遅れて、小倉駅で特急ソニック13が40分以上の遅れ、到着時間もさだならず。寒いプラットホームで待ち切れず駅ソバを注文、食べ出した途端に列車が入ってくる。ソバをほりだして、満員の列車に自転車を押し込む。さらに乗り換えの中津駅、強風で普通列車がいつ来るかもわからない。しからば昼食と駅弁を買ってホームで風をよける場所に座り込ん食べるがこれもまた最悪、私の買った焼き飯はパラパラで、とても丸箸ではすくえません。なんとか半分ほど食べ終わったところ、予定列車は欠航、さらに1時間後の列車だとの案内、ひどいもんです。早くからわかっていたら駅外でゆっくり食べられたのに。
1時過ぎに中山香駅に到着。出口は構内の高い跨線橋を渡って反対側。重いeBikeと荷物で2往復させられます。

 そもそもeBikeで輪行は、重いeBikeを新大阪で100mの引きずり移動、小倉と中津駅での乗り換え、最後の到着駅は急勾配の跨線橋を越え改札側への運びは大変です。
私は自転車本体から重いバッテリーを分離して手荷物とし、2度往復して運びます。これが今のところの私の最適輪行方法でしょうね。自転車は後輪を接地させて斜めに引きずります。もちろんカバーをつけてますよ。

 最近、スポーツeBikeの開発が盛んですが、輪行の苦労を考えると簡単には発展しないと思います。列車がEU並に自転車フリーになることは日本ではないでしょう。せめて新幹線や特急で、パッキングした自転車の置き場ぐらいは考えてほしいですね。有料でもOKです。

 無人駅の中山香で自転車を組み立て、近くのコンビニで三度目の昼食。雨が降り出したので雨具装着。計画より2時間遅れの2時過ぎ出発。悪いことに、小生のeBikeのモーターが回転しない。自力で走れる距離と勾配ではありません。旅行を中止をして帰えらなければと思いますが、ブレーキの信号線の圧迫を除くと正常に動作、ホットします。
 いよいよ第一の目標である熊野摩崖仏に向けて出発。ところがまたまたの失策。予定にない長いトンネル入り口にきて摩崖仏が予定地図の方向にない、道を間違ったようだ。引き返すのも面倒でパスすることにします。これは最悪の選択、地図上では摩崖仏もたくさんあるのでパスしましたが、この熊野摩崖仏が国東の代表摩崖仏だったのです。そしてこの長いトンネルを抜けると切通し道のわきには雪が残っていて心まで寒々してきます。

 間違った道は少し遠回りですが桂川沿って3っつ磨崖仏がある道にでました。この桂川沿いの桜並木はまだ堅い蕾み、本日の寒さをいっそう強調しています。本当に寒いし寂しい山道です。


鍋山三宮の景
そして鍋山三宮の景は写真のごとく三っつの断崖からなっていますが、磨崖仏が彫られているのかと目をこらします。この岩壁は古の仏師がこの岩壁に自然の仏像を見たかもしれませんね。私どもはいくら目をこらしても溶岩の岩肌に仏像を見いだす力はありません。

そして川沿いを数キロ行くと、
崖ぶちに磨崖仏の看板があります。やっと本物の磨崖仏が見られると興味津々苔むした急峻な石段を上って行くと古いお堂があって磨崖仏がまつられてありました。完成した像ではありませんが、この岸壁に彫りつけた仏師の精気が感じらます。私はやっと磨崖仏に会うことができたのです。
この急な階段


鍋山磨崖仏

 そこから、しばらく走って当初計画の道に出ました。
もはや5時過ぎ、河原君が今夜の宿渓泉を調べるとあと35kmと出ます。当初の計画では出発の駅から39kmですが、出発の2時間遅れと、数キロの遠回りで道を間違ったとしてもすでに30kmは来ているので、これから35kmとはあまりのこと。さらに高さ100mの峠を越さねばなりません。頑張っても2時間はかかりそう。とりあえず宿に遅れる旨連絡を入れてハイトップのパワーで必死で走ります。結局一時間で到着ですが、河原君の後35kmはMapsMeの操作ミスでした。
両子山600m

ホテル渓泉
目的の宿は周囲とは不釣り合いの大きなホテルです。フロント係は早くの到着にちょっとびっくりしたようです。早速鍵をもらって部屋に行きましたが、鍵が下から1mの低い位置に付いているのが不思議。サウナ、露天風呂付き大温泉に入って夕食はたった3組です。さすがこの天候ではね。
和室の広い部屋の設備はいいのですが煎餅布団で、痛くて寝れません。座布団がたくさんあったのでクッションにします。予約の時に洋室か和室かと聞かれたので、ベットにすればよかったのです。思うに私は、畳から手をついて立ち上がることがかなり困難です。
3月21日

渓泉から真玉海岸>姫島
 本日は晴天、風もなし、道路にあるバス停の標識は、「老人憩いの家前」になっていました、ホテル渓泉は老人ホームの転用だったのでしょうか。部屋の鍵がとても低い位置にあったのはその理由でしょうか、あるいは別棟で老人ホームがあるのかも。
 本日の行程は少し戻って西の海岸に出て北に向かい、姫島にフェリーで渡ります。もちろん地図で海岸までに磨崖仏のある箇所がいくつかあります。

期待して進みますが、地図上では、無動寺耶馬の磨崖仏、福真磨崖仏、中の坊磨崖仏がありますが。

最初の無動寺では近く背景の山の断崖がちょっとした磨崖仏感じ、山頭火が耶馬溪といったそうです。
磨崖仏は画面の右端の小さな門をくぐって奥に行くと古い祠があり、その中らしいがよくわかりませんでした。

無動寺耶馬の説明板

二番目の福真磨崖仏は道から畑を越えた小さな河の向こうにあります。
福真磨崖仏がありる入り口柵
不思議なことに畑の入り口と川の橋に柵があって簡単な鍵があって自分で開けて通るようになっているのです。まるで野生動物よけのような柵ようですが、どう見ても動物なら簡単に侵入できそうな柵。まるで人間避けの感じですが、丁寧にも開けて入ってくださいとの注釈があります。柵の向こうが福真磨崖仏らしいのですがよくわかりませんね。

3っつめの磨崖仏はなんと灰や廃家になった医院横の路地の奥にありましたが、
中の坊磨崖仏のある医院の路地
小さなほこらでなかになにがあるのかわかりませんでした。(写真ある住宅(医院)の路地を上がって突き当たりを右に行ったところが中の坊磨崖仏のある小さなほこら。

そんなで3っつとも期待外れの小さな磨崖仏でした。ネットで色々見ていると面白い磨崖仏をまいつけました。福真磨崖仏と中の坊磨崖仏の中間位置ある国土の磨崖聖女像です。
当時は、案内表示番を探したのですがよく見つけられませんでした。大いに残念です。

国土の摩崖聖女
これで、国東半島の磨崖仏探索は最初の熊野磨崖仏の見損ないから失敗ばかりで物足りない磨崖仏探しした。
 さらに進むと、町中に出て、真玉温泉に到着。宿泊所もあるしサイクリングセンターもある。そして海岸に出ると真玉海岸ででます。引き潮のとき中州があらわれるそうです。また夕日がきれいで恋叶いロードだそうです。海岸線を北に進むと長崎鼻の菜の花祭りの案内が出ていて行ってみます。
桜の代りの長崎鼻の菜の花
                       
姫島の概略右橋が灯台
さらに進むと半島の先端のフェリー乗り場に到着。姫島はここから乗船代500円+自転車代が350円はちょと高いね。わずか30分ほどですが。

 姫島の先端の灯台から国東半島がみえます。本格的な山脈にみえますが、300m程度で前世紀の火山群でできた国東半島です。海を隔てて見るとよくわかりますね。

国東半島を姫島より望む

国東灯台
 灯台を回て島の中央道路にでると、村営の小さな温泉があります、小さな浴室で島の人たちと話をしましたが、観光には何もない島にと恐縮していますが、車エビの養殖は有名だそうです。
風呂から出て、ペンションまで数百メータですが、風が強く湯冷めすからと気遣って軽トラに乗せてくれます。宿泊のペンションはとっても快適、部屋には奥さんの手紙とアサキマダラの写真が進呈されてあります。アサキマダラは台湾から渡ってここで羽を休め本州に飛ぶのです。小学校の頃大台ヶ原で群生を見て、小学校の講堂で新種発表などしたのですが、かなりいい加減な内容で粗末を今でも恥じております。(当時は百科事典で調べるという知識はなかったのです。)
このペンションの売りは、夕食の良さと、島の特産車エビのしゃぶしゃぶで、漁師の主人の食べ方説明は念の入ったもです。刺身は色々あってとっても美味しい。ただ売りの車エビのしゃぶしゃぶは、おなかいっぱいのでちょっとね。



3月22日

 本日は半島の東海岸を回って別府まで90kmほどです。平坦な道は結構疲れます。
杵築城にからは、海岸線を敬遠し内陸部を走っている国道を選んで10Kmほど節約します。当初計画の回天展示はパスします。回天の戦火は不明で、真珠湾攻撃の1隻が捕獲されたのがあるだけ。
`サンバリーアネックス三つ星ホテルですが1万3千円

 退屈な道路をひたすら走って別府大学駅近くのホテルに投宿、ツインで13000円で朝食付き、大浴場温泉もあり快適です。ホテルに入るとき地下の雑然さと裏側の小さなドアは、安ホテルらしさ納得していましたが、表のフロントは立派なものです、

夕食は近くのタイ料理のレストランに出かけましたが、全くメニューがわかりませんね。
彼女を呼んで何が好いのと聞きます。メニューを見せて説明してくれます、お任せで注文。あとで考えるとネットで調べればちゃんと写真入りでてきますね。これ旅行の常識というものです。





3月23日

ホテルのサービスの朝の食は開始は6:30で大勢の外国人がならんで大混雑、献立が沢山あって思うようにセレクトできません。7時半になると空いてきます。余裕で選択できるので、残念です。実は晩飯のタイ料理よりいいです。
 本日の予定は、別府の背後の山地を上って別府湾なぞ見て、志高湖から内成棚田にいきます。昼から雨模様だそうですから、急いで出発します。昼過ぎには別府駅に帰り着く予定。
 ホテルからほぼまっすぐに西のドロ湯まで駆け上がり、そしてにロープウェイまで標高500mで1時間です。晴れていればロープウエイで鶴見岳まで登り、由布岳や別府湾と温泉郡を見物の予定すが、霧と雨が少しふってきます。お天気がよければきっと素晴らしい展望が見れたかも。
雨で引き返そうかと思いますが、後はほぼ下りで滋高湖にいき棚田を見て別府駅に下ります。全行程はわずか39kmです。
志高期はキャンプ場
そして内成棚田です。ちゃんと座って大きな棚田を見てくださいとベンチがあります。秋には壮観でしょうね。
内成棚田の展望ベンチ


鳥越峠ループ橋から高速道路越え別府湾

別府の開祖油屋熊八の像
 お天気はなんとかもって昼過ぎに別府駅に到着。駅前の銅像は油屋熊八という米相場で大もうけして別府の温泉を開発したそうです。

帰りの列車の混み具合が心配で、1時過ぎの特急で小倉に、ちょうど新幹線さくらがすぐにあったので、列車でと乗りましたが、昼食は途中の駅で買えるかと思った弁当も買えず、空腹で、新大阪、高槻に6時前に到着。組み立て10分で帰宅。

後書き

 5年ぶりで楽しみにしていた九州の春。3月下旬では沿道の桜は散り終わりと思い、いろいろ気にかけた国東半島の旅は、強風と寒さのサイクリング。eBikeでこその旅でした。事前に桜の最適条件をAIに何度も問い合わせたのですが、季節状況は、地元の観光協会に電話で尋ねるべきだったのです。これは大失敗です。今年の開花状況は4月上旬でした。

 重いeBikeの輪行方法

バッテリーを外して手荷物にして、自転車と手荷物を別々に運びます。自転車のパッキングは写真のよう水平に、さらに自転車を斜めにして後輪を接地して引きずります。もちろんカバーがまくれ上がりますので、ママチャリの泥よけガードをとりつけます。
新幹線では、最後部の3列席の後ろに2台は入ります。特急列車では連結部に平行に入れられます。
前輪はもうすこし後方に取り付ける。
この袋は大きくて、荷台を取り付けいてもは問題ありません。私の背負いは図の反対側です。首をいれて、右肩に担いています。右腕でハンドルを持ち上げると後輪が接地して転がすことができます。






























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