台湾東海岸ぶらり旅2019-1

南の離島蘭嶼 断崖の山羊さん
 2019年1月。今年の冬は台湾です。相棒の河原くんは今回はお休み、彼は台湾は初めてだととっても期待していたのですが残念です。
計画はのんびりと暖かい東海岸をサイクリングして屋台の旨いものを食べての旅の予定です。石田ゆすけ著「台湾自転車気儘旅 世界一屋台メシのうまい国に習って気楽にやるつもりだったのです。ところがです、意外な事態が度々発生しました。胃が裏返るほど吐いたり、旅券を落として、危うく日本に帰れなくなりそうになったり。チョットお粗末なブログ見てやってください。


1月6日初日 曇り

 3時過ぎ桃園空港に到着、空港でSIMを入れ替えてもらって、重い梱包の自転車を台車に載せて、新しくできた空港線のMRTで、台北と反対側の中歴に行きます。宿を台北/松山にしなかったのは、MRTが高鐵の桃園駅にも接続しているのと空港に近いからです。(梱包は自転車、サイドバック、その他で制限の23kg近くです)
 MRTは環北まですが、中歴のホテルまでタクシーで5分ほどです。蓮園商務大飯店はゴチャゴチャ台湾の街中、大仰な名前のホテルが3っも雑居している場末のビルの六階のです。最初はえらくボロいところを選んだと思ったのですが、意外と部屋は広くて清潔、部屋で自転車を組み立てる事ができてとっても快適です。

2日目 曇り

自転車の前輪を差し込み後ろの荷台と
荷物は座席の前に配置されます。
 中歴駅から区間列車で基隆までで、朝の混雑を考えて自転車は畳んで袋に入れました。8時の列車は通勤客で8分の入。台北ではガラ空き状態になります。最後部は自転車をそのまま4台積める車両です。台北からだったら自転車は畳まなくてもそのまま積めたのですが。
だいたい、輪行で自転車を畳むのは簡単ですが、サイドバック2つ、フロントバックと袋詰の自転車で改札を通ってプラットホームに行くのが最大の苦行です。せめてプラットホームまで自転車を持ち込めればいいのですが。
1時間半ほどで基隆に着いて、自転車を組み立て、表出でて初めて来た基隆駅前の立派さに感心したり、浜側への道の方向をキョロキョロしてみたり。
基隆南側駅 北側にも大きな駅舎がある。
 基隆で浜側への道はチョット複雑で、浜の倉庫と高架道路の入り口が邪魔をして浜側の2号線には抜ける路がよくわからない。
一端もどって、屋台店で昼飯を食って、ついでに道を聞く。高架横の歩道を逆走すれば良かったのです。
 それに心配ごととして、タイヤの空気は8分しか入らない。つも空気は河原君いれてもらっている。自分のポンプのアダプターがフィットしていなくてなんとかなるだろうといい加減にして来たのです。意外と自転車屋がみつからなくて、バイクの修理屋を2、3軒尋ねるが口径が合わなくて無理と断られます。5km先に自転車があると教えてもらい。見つかるかどうか不安な気持ちでゆっくり走る。運良く見つかった自転車屋の美人の若奥さんに今日は休みと断られるが無理矢理頼んで貸してもらいます。ヤレヤレです。

 曇り空で、九分、金山あたりをすぎて暑くも無く追い風の快適なツーリング。海側には結構美しい海岸線が広がっています。
基隆付近の海岸はドンヨリとした冬の海

九分の金鉱跡らしき精錬所が見えます。
途中荒波の上にドローンを飛ばして遊んでいる
海に落っこちればと心配
基隆あたりで無駄時間を取ったので、半島をショートカットして走る。
 
福隆は古路線の自転車路がある。すぐそばを台鉄が走り抜けますチョット面白い風景です。 大正13年宣蘭と台北を結ぶ2.1560mのトンネルとして多大な犠牲を払って完成。今では自転車道路として大人気

福隆旧草嶺隧道


きれいなトンネル自転車道路2167m、すっかりきにいりました。
ところで、今3時過ぎこのぶんでは宣蘭には19時過ぎになる。
輪行を考えたけど、マーなんとか走ることにした。宣蘭まであと40km余り。かなり頑張って走ります。6時を過ぎるとすっかり暗くなり宣蘭近くの道は畑中らしくやたら暗く寂しい。スマホの補助電池からのコードの接触がわるく度々きれる。それに左脚が不気味に傷みます。昨年より7月よりロングライドしていなかっのです。こんなに不安になるなら、石城駅あたり電車に乗ればのればよかったと後悔しきりです。宣蘭手前の大橋は通行止め、大きく迂回させられとっても心配。それでもなんとか真っ暗な夜道を抜けると、派手な宣蘭駅に到着。可青大飯店(キングホテル)は夜市通りのすぐそば。5階の部屋まで大きなエレベータで自転車もあげられ、荷物をおろさないで部屋に入れるのはほんとうに楽くです。Booking.Comのホテル名は英語名で、このキングホテルなんてはまず地元の人には100%わかりません。意味の無い英語名、スマホ表記は漢字でしてほしいです。

 夕食は、宣蘭順順肉大飯店です。店先に鵝を吊って三、四人で叩き切って料理しているやつです。部位によってメニューが違うらしいけど、わかりません。
スマホで店のWeb写真から選択して見る。なんと出てきたのは小さな皿に茹た小松菜の上に鯖カツヲを載せてあるだけ。ビールは自分で取りに行き、再度スマホで注文。蒸し鶏ではありませんまさしく肉です。
実に旨い

3日目 晴れ

 ホテルの朝食は指定時間にルームサービスです。オーダメニューをみて多少がっかりしますが、豆乳と漢王(ハンバーグ)を注文。朝早く食べないで持って出るには便利です。
派手な宣蘭の駅
 あさ7時過ぎ花蓮行き各停にのる。これを逃すと10時まで区間列車はありません。自転車はパッキング不要、ただし自転車代を半票とられました。
基隆までの列車のような自転車ホールドの付いた専用車ではありません。
どうせ、ガラ空きで、好きなように置けけましたが。車掌が飛んできて自転車券を確認!しにきました。
 和任駅が最適なのですが、どうしたことかダメだと切符売りの窓口が云うので、手前の和平おりて清水断崖に向かう国道2号線乗ります。
と花蓮の境の大濁水渓
 このあたりはセメント工場があって、路の砂埃防止のためにたっぷり水を打ってある。おかげでトラックの飛沫が掛かり泥だらけです。長トンネルを2つも越えて和仁駅を過ぎると水うちもありません。ここからスタートなら汚れなくて済んだのに。
 しばらく登ると前方に岩の洞門が見えてきます。電車から見るとはるか上方に見えて凄いところの感ですが、上から電車を見下ろすと、さほどの感はありません。とりあえず第一目標は突破。

 数年前前まで、この断崖の道は台湾1周の難所で、切り立った断崖の路を次々走るダンプをすりぬけて走る恐ろしさをどの旅行記には書いてありました。今ではもう拡幅されて広くなった道路で怖ろしい感じはありません。
  清水断崖は、海岸からの写真を撮りたかったけど、下に降りる道が見つかりませんが、地図上には旧隧道の記載があり期待していたのですが。


 記念撮影を2人の小姐に頼みましたか、全然迫力ありませんね。いつもなら相棒に何度も取り直しを頼むのですが、気にいりません。
 太魯閣渓谷の最寄りの駅新城を越えると海岸側に路をとって、七星譚の浜に出ます。猛烈な風で、浜の屋台も大変そう。この浜の内側は花蓮航空基地です。さすがに今日は訓練のお休みらしい。
 4時過花蓮駅に到着、スマホの充電不足で、G.Mapの地図がアップしません。駅の構内に入って、中電WiFiルータのそばでしばらく待つ。ようやく地図が出た。南京街の罄憶民宿は以外と簡単に見つけることができました。老闆の片桐さんは、20年前にここに民宿を開いたそうで、「台湾気儘旅」の著者の石田ゆうすけ君の尋ねてきた話など、迷惑がらず付き合ってくれてました。
 
 和平で泥だらけになったの服をコインランドリーで洗濯、待ってる間に、お薦めのワンタン専門店「液香偏食」に行きます。丼の薄いスープと香ばしいこがしニンニクの入ったワンタン実いに旨い。ゆうすけ君の本には淡水でエビ入りワンタン麺の記述がありって、その旨さの大げさな表現はまさしくぴったりです。
 洗濯物を取り込んで、再度7時過ぎ、雨が降ってきたので傘を借りてお薦めの小籠包「公正包子店」に行く。方向音痴の私、すぐに道がわからなくなり、地図とにらめっこしていると、バイクの小姐が困ってるのか?と尋ねてくれる。地図を見せると、バイクに載せて案内すると言う。エーと思うが、断る自信も無いので、後ろにまたがり、捉まり方がわからないので彼女にかっぱの上から抱きつきます。遠慮して軽く抱きついているで、落ちそうでとっても怖かったです。
 ところで、小籠包はうっかり10個たのんだら子供のげんこつ大のでっかい奴、味は美味しいはずだけど、数を食べるの大変4つをなんとか食べて、残りは持って帰ることにします。袋をたのんだら、50元とおっしゃる。「なんで袋が50元?」と文句を店先で云う。よくよく聞くと小籠包の支払いがまだだったんです。
大家都笑了!!

4日目 薄曇り

 本日は休息します。初日基隆から宣蘭までで痛めた左脚を少し休めることにしました。朝食は、虱目魚サバヒ-の粥を求めて出かけて見ました。和平路の見るからに貧相な早餐店ですが、これもまた旨い。虱目と言うから、釜揚げシラスの様なものと思っていましたが、鉢一杯の大きさで、味は淡泊、臭みなど全くありません。鯖科の一種だそうです。低温でないと育たないので、日本にはいません。

 昼前に、日本のなごりの松園別館にでかけて見ました。
蓮港兵事部跡で、高級将校のサロンとして終戦間際に建てられた悲しいほどお粗末な建物ですが、松の木だけは、80年をへて立派です。特攻パイロットが御前酒の別れなどがあったそうです。
 もう一つの日本のなごりは四国吉野村の集団開拓村の中心にある真言宗「吉野布教所」現在は𠮷安慶修院に行ってみることにしました。途中葱瓶街なる所で葱油餅を買う。油であげて仕上げるのだ。
これもまた旨い。行列ができているので、おばさんが先々品種のオーダーを先取りしてくれる。卵煎りが30元。甘いネギの味がするそうですが?わかりませんね。
炸弾とは、油で揚げて中が空洞になっているのでと思う。



G.mapで吉安寺を探してもない、しからば、台鐵の吉安駅を探して、そこから吉安寺にいく。
ここは戦前の日本人開拓村のお寺、日本語の読経が聞こえます。当時の村の写真がぱねるで並べてありますが、トイレの裏ではチョット悲しいです。




5日目 晴れ   

花蓮 >芭崎休憩所>磯崎>石梯>八仙洞>長濱 約80km

 朝6時に出発、一気に海側のコースを選んで、花蓮川の長い橋を渡って対岸に渡り、朝の涼気の中を走ります。


対岸の小高い山の間を抜けると、しばらくは海岸線を走ります。山と海に挟まれた景勝地で立派なリゾートがいくつか並んでいます。




 暫くすると道は海岸線と平行な山の中に入り、原住民のバナナ売りの無人スタンドが所々にあり大きな房と小分けした房が並んであり、自転車にとっては実にべんり。5本で10元もので、朝食とします。だんだん登りとなり、日差しもキツくて、二の腕がこげそう。道は対抗4車線とそれぞれに自転車路のスペースがつけてあります。
充分広いです。車でほとんど走ってはいません。一旦下りがあって、ゆっくりした登りがっ続きますが、これはためらわず歩いてのぼり1時間ほどで峠230mで、そこから海に向かってくだり、
芭崎休息展望所があって、初めて大勢の観光客が写真で盛り上がっています。私もここで自撮りで1枚。
芭崎休息展望所

遠くの海の白浪が美しい。長い峠を越えて来た甲斐があったというものです。



周辺の部落や、原住民の地図


  
  海岸におりてしばらく走ると磯崎地区、屋台でトビウオ卵のソ-セージや飛び魚の干物焼いて売っています。もう昼ですので、隣の大きなレストラン頭目海産で昼食とします。
磯崎あたりの頭目海産
 美味しそうなメミュー今日は朝ご飯は台湾バナナ4本だから美味しい昼ご飯になりそう。昼前だから客は私だけ、メニュー看板から、ムール貝と野菜炒めを注文。ムール貝の調理はタマネギと青ネギの醤油甘あじ、西洋の味付けではないけれど、台湾風でOKです。

奥の壁にマリヤ様の額と十字架。ここで礼拝があるようです。地図で見ると、カトリック教会磯崎天守堂ともう二つの礼拝堂があります。
阿美族の娘達
横の壁には原住民阿美族の娘達の写真などあって、とっても愛らしい。部落住民皆なクリスチャンと思うと、よけい楽しいです。
 今日の宿は、花蓮から80キロ走っての長濱です。
 道路は上り下り緩慢な道で10kmほどを進むと、眠たくなり、休憩所のベンチでチョット昼寝。しばらくうとうとしたせいで後は涼しい快適走行。石梯坪に到着、駐車場に自転車を停めて海岸に行こうとするが、はっと気が着く、背中のバックがない。パスポートと余分の現金が入っている。
えらいこっちゃ、必死で自転車でもどるが、上り道だから1時間はかかりそう。途中の休憩所にいた男の人ごとく必死にたのんで、車で戻ってもらう。しばらく走ると昼寝をしたベンチの下にザックがある。あー良かった。
 もう一度の自転車の所に戻ってもらい、お礼をしたいが受け取るはずも無い、せめてメールアドレス教えてもらう。
パスポート探しを助けてもらった台南のおじさん。
中身はチェックしなくてもあるに決まってるが、男の人に催促されて、中身をチェック。本当に危ないところ。誰も盗たりしないだろうけれど、警察などに届けられたら、簡単には返してもられないだろう。本当にありがとう。

 
 石梯坪は自転車をおいて歩いて海岸を見て歩く。先ほどの事もあって、あまり興味がわかないが、台湾一の景色だそう。せっかくの、景勝地ですが、夕刻で薄暗く寂しい感じです。遠くの磯でみんな磯遊びをしています。

石梯坪海の白波と対象で素晴らしい。

 早々に磯を離れて、しばらく行くと八仙洞が有る。海蝕洞窟で旧石器時代の住居跡が発見されたそうです。洞窟は11個有るとのこと。第1級古跡とのこと。

八仙洞で石器時代の住居跡がある。
 
 今夜の泊まりの長濱の民宿は、G.map上にあっただけで、Booking.comの様な予約サイトには載っていません。
阿紫心家 ホステル
昨日花蓮から、電話で予約してみました。中国語での予約には自信がありませんがなんとか通じたようです。HPでは若者達が利用している宿。若たちと交流期待して決めました。阿紫、心家と言うなのホステルです。若い小姐が一人でやっている感じ。Hostelですが、春節前で他の客はいません。2階の10畳板敷きの雑魚寝フロワーで一人寝です。

600元。(2000円足らず)

一階に小道具一杯の雑然とした共同キッチンや談話ルームががあります。

近くの飯店があるかと尋ねると、どうも1km先ようです。面倒ですので、
彼女に作ってもらう事を提案したら意外と簡単にOKが出ました。

もちろん一緒に彼女と晩ご飯をいただくわけです。

 2階のシャワーは水とお湯の混合弁がないので、熱湯か冷水かで旨く調整できません。危うく熱湯でやけどをする事になりそうなので、最後は水で仕上げです。
二人で分け合って食べた夕食
 夕食は旗魚とタマネギの煮付け。豆腐炒めとキャベツ炒め
それと少々のご飯。
ビールがあったので白飯はこれで充分です。
食後彼女に明日行く予定の緑島の事を聞きましたが、さらに南の蘭嶼の島が素晴らしいとのこと。その気になって、台東から飛行機で行くことにしました。

6日目 晴れ

 朝早く彼女が寝てる間に出発です。2kmほど行くとコンビニがあって、ここでおにぎり朝食を済ませて、三仙台に向かいます。



  今日も本当に良いお天気で、腕が焼けて痛いです。三仙台は成功郷の観光ポイントで、大勢の観光客が騒いでいます。浜の橋まではい大きな石ごろごろしている所を歩くのですが、結構疲れますね。さらに九つ鼓の橋を渡って仙人の住む島に行くファイトもないので、早々にここを引き上げて、東河包子に向かいます。25kmほど先なのですが、長いアップダウンが続き、チョットした上坂でも歩く始末。ドウモしんどいです。
 最後は目的の東河包子まで1kmもないのに休憩する始末です。考えてみると朝食をコンビニで軽く取っただけ、今1時過ぎで、昼食はまだです。特に腹が減らないので食べなかったのですが、俗に云うハンガーノックの状態らしい。
 ぼんやりしながら走っていると、突然国道の脇に東河包子の小さな案内看板がでている。右折して少しあがると、立派な消防署と警察がある。その正面が東河包子店です。
地図では数カ所に東河包子のマークが出ているのですが。ここが本店かな。





包、酸菜包と甘い紅豆包を買う、それと冷たい豆漿
店横のガジュマルの下で皆さんと食べ、終わるとすぐに立ち退いて次に譲る。それが屋台店の礼儀というものです。
あとはと台東ホテルまで30kmほど、やっぱり包子3個の効果はてきめん。昼前と違って余裕のペダリングです。



 農園があって袋を架けた木この時期だから、多分釈迦頭でしょう。昔美味しいと聞いてスーパーで買って食べたのですが、堅くて青臭いし黒い種も邪魔、まさか冷蔵庫にいれて一週間ドボドボになるまで、おいてから食べるものとは知りませんでした。

 ここらあたりは、もうすっかり熱帯です。椰子の木や、積乱雲の沸く海が美しいです。



あの島影あたりが台東市でしょう。しばらく走るとフェリーの出る富岡港を越えて台東市内に入る大橋を渡ります。ここは空軍基地があって轟音とともにジェット戦闘機が何機も発進発着しています。
 市内には臨海公園を越えるとすぐで、宿の東新大飯店に到着です。
かなりくたびれたホテルです。受付のおばさんの長電話がやっと終わると、客の私を無視して、今度は出入りの業者と長々お話。台湾では珍しい接客です。やっと部屋の鍵をもらって5階へ。
このフロントでは、明日行く島への飛行機の情報など調べてくれそうでないので、近くの旅行社を訪ねます。切符は扱っていないけれど電話で予約をしてくれました。
 夜市に出かけて晩飯と思いましたが、余りの混雑に気後れします。さらにビールはなさそうです。
台湾ではほとんどの屋台食堂はアルコール類はおいていません。夜市の屋台に群がって焼き肉など食べている人たちも、誰もビールなど飲んで居ません。これは不思議です。政府が禁止している訳ではなさそうですが、思うにアルコール類を出すと長居をされて、回転率が落ちるからでしょうか? チョットわかりませんね。ほしければコンビニで買って来ればいいのですが。


日目 晴れ

ガランとした朝の台東空港
8:10分の飛行機に乗るのに6時過ぎに出発、ホテルの朝食は間に合いません。聞くと近くに早餐屋があると言うので行ってみる。ところでホテルのフロントは昨日と違って親切です。待期しているタクシーを呼んでもらって台東空港へわずか20分です。徳安航空のカウンターは7時からとのこと。ローカル空港はのサービスピットはまだ開いていません。
8時ちょっと前にゲートを下りて双発に乗り込みます。30人乗りで、乗客は20人足らず。20分足らずで1400元です。
朝陽に輝く海を見ながらの飛行は快適なもの、そういえば昔、こんな小さな飛行機に乗っって、シカゴからミネヤポリスまで行ったことをふと思い出します。
わずか20分ほどで、蘭嶼に到着です。下りてびっくり。タクシーもバスも、レンタルバイクも有りません。
予約の民宿にメールを入れて迎えを頼んでおいたのですが、さっぱりです。電話も通じません。警官の詰め所で聞いたら電話してくれました。ついでにレンタルバイクがないのか?と聞くと台湾の免許証があるか?と言う。無ければダメだと法律どうりの返事。笑って了解します。台湾は国際免許もダメで長逗留の日本人は大部分無免許運転で、捕まれば日本の免許で文句は言われるが罰金は払わされた経験があります。
 そうこうしていると、やっとお向かいの車がやってきました。やたらひどいポンコツ車です。後ろドアのノブは取れて有りません。でもチャンと走ります。運転手はたった今、畑から出てきた様なお爺です。
都都悟的家ホステル
曲がりくねった、漁村道を20分ほど走ると、フェリーの着く港のすぐ側のこれまたヒドイコンクリーの平屋に到着。お爺は民宿のオーナでした。部屋は10畳ほどで、ダブルベットが2つ、バス.トイレ付レースのカーテン。立派なものです。ただし天井の大型扇風機と大きなブラウン管TVは動きませんが。広いキッチンはすべての道具が充分過ぎるほどあって、廃品回収屋さながらです。
冷蔵庫には一月前から有るかも知れない料理の残りや食材、
流しはドロドロ。
どうせ一泊で明日は昼で帰るので問題なし。ホステル形式のこの民宿はBooking.comに載っている島で唯一のアコモです。見たところ、立派なホテルや民宿が十数軒有るのですが、Webの予約サイトには登録されて居ませので、電話で予約するか、メールです。(英語はわからないかも)
 今日は非常に良いお天気、まずバイクを借りて島の一周に出かけました。



一応記念にのヘルメット姿を残しておきます。
バイクで一周は2時間近くかかります。ガソリンが切れないか心配、島の先端は人通りはほとんどありません。バイクが止まったら歩いて帰るのに20kmはあるかも。 

沢山の山羊は野生なのか、夕暮れ時は皆菜そろって村のねぐらに帰って行きます。
黒豚もいました。










日目 嵐

 夜半より雨と強風、朝には晴れるなどと都合の良いことを思いながらうとうと。
7時になっても、風もやまない。帰れるのか心配。おやじの云うのには2,3日はダメと気楽なもの云い。
雨や風で表にでて行くわけでにも行かない。ごく近くにセブンイレブンがある。夕べよりずっとここのお世話になってます。一応観光リゾートの島だから、飯店はあるのですが、冬場は観光客の少ないので閉店らしい。したがってコンビニ生活です。
電話をかけて飛行機の運航を尋ねるが、素っ気ない返事。
昼過ぎ、空港に連れて行ってもらい明日の便を聞くが、明後日には飛ぶかものこと。エーこの島に4日も閉じ込められる!飛行機の予約表はすでに50人を越えている。私は来しなからの予約番号を見せて、予約の一番にしてもらいます。 この島に4日間閉じ込められたら、4日目は台東に戻るとすぐ汽車で台北まで戻らないと帰りのJetStar17日12:45分に間に合わない。宿に帰ってもすることもない、スマホでポチポチとブログを打つ。あるいは玄関先で小一のガキと遊んでみるが、もう一つこちらに興味がない様で、話も進まない。
高学年なら、いろいろ筆談もいれて知ってるだけの中国語で話しもできるのだが。この子の母親は冬場で出稼ぎらしい、夕べスマホでTV電話していたのです。
 突然、釣り竿を持ったおっさんが慌てて尋ねてきた、サンマをつけた針で魚釣りらしい。オヤジと一緒の出かけていったが1時間もしないうちに2尺大のハマチを持って帰ってきました。夜はこれで晩餐、当然私も仲間に入れてもらう。今夜はコンビニ弁当を食べなくてよさそうです。
5時過ぎ親父 が料理しだす。小一時間もしないうちに完成、例の友達もきて、小一のガキと4人で夕食。


釣ってきたハマチで4人のディナー
 ヤー実に旨い。このオヤジの腕は確かです。ハマチの切り身の煮付け、アラの潮汁の淡泊な味、生臭いと思ったが結構行けます。ビールをたのんでおいたけど食事が終わってから「ビールを飲むか」と言うけど、なんで先に出さない。不思議??アルコール類は食後に飲むのが習慣らしい。
 ところで、明日はフェリーが来るそうな、この季節、便は1週間に2度だけらしい。船酔いは覚悟で乗るつもりです。

日目 島は3日目 風は相変わらす。曇り。

太平洋の荒波を蹴立てて走ります。
揺れるのは覚悟の上で乗りましょう
 電話で問い合わせるも飛行機は明日以降です。台北のFBの友達から酔い止めの薬を連絡してくれるが、薬局など有りそうもない。彼女に言わせると雑貨店に有るとのこと。その雑貨やは何処にあるか分かりません。12時過ぎにフェリーがやってきた、車が積める大型と思っていたのですが、ごらんの高速船です。これなら揺れること100%です。2時半の出港ですが、早めに行って乗り込みます。
ところで、この島での出費。宿代600元x2泊、レンタルバイク400元。昨夜の晩飯はご招待ということです。コンビニの飯代6食約600元、往路の飛行機代1400元復路のフェリー代1200元その他タクシー代400元合計5200元也。チョット口惜しい。
そして、いよいよ覚悟の出航です。揺れの影響を少しでも楽にと一階席にします。最初の10分ほどはドタン、バタンと波をくぐって突進です。この程度ならなんとかと思うが、ついにゲロ用意の袋はすぐに一杯、ゴミ箱に捨てに行くにも立つことも出来ない。2つ目の袋と重ねて持って苦しみます。でも1時間ほどのこと、突如静かになると富岡港に到着。
 タクシーに乗り合いして東新大飯店に到着。フロントのあの無愛想のおばちゃんは居ません。部屋に入って暫し休養。夕食はまだ食べられそうにありません。こんな時は牡蠣粥にかぎります。うんと唐辛子と干し大根の漬物をいれて、油條が探すがなさそうです。鉢一杯の熱い粥は食べていると、裏返っていた胃も正上位になってきました。

10日目 小雨のち曇り

 もう日が無いので、さらに南に行くのをあきらめて帰ることにします。朝、台東駅8:53分自強で一気に新左営に。
 向かいのプラットホームへ、袋詰めの自転車とサイドバック2個、フロントバックを往復して運びます。特急の自強は自転車はパックしなければなりません。プラットホームまで行ってから、自転車をパックさせてくれると良いのですが、駅員にたのむのをためらいます。相棒がおれば、私の中国語の実力を見せつける為にたのんで見るのですが。デタラメめでも通じるはずです。多分OKがでると思いますが。 定刻に列車が来たのですが、余りにボロイ車両です、自強号かどうか不安で、他の乗客に確認します。
 出発して大摩里を越え大武までは海側ですが、田植えの待つ水田や椰子の木など写真になるはず。本当に残念です。
 ボロの自強号でも、次々とトンネルを越えるて、西側の海岸に来てはっと気がつきます。今日は15日、16日の夕刻に中歴に帰っていれば17日の飛行機に間に合う訳です。1日間違って居ることに気がつきました。と言うのも蘭嶼から返りは、飛行機より1日早くフェリーに乗れたので余裕の1日が出来ていたのです。しまった、もっと早く気がついていれば今日は大武まで自転車で行って、16日朝の列車に乗れば、3時過ぎには中歴に帰れのです。なんと愚かな事をしたものです。一人旅行は思い込むと、簡単に修正出来ない様です。6年前もNZの返りに出発時刻のAMとPMに気がつかないで空港で10時間も暇つぶしをしたのです。またもやってしまいました。
 
 それで急遽、左営の手前の屏東で下車して、市内見物をすることに。屏東は始めてです。駅の案内所の小姐が紹介してくれた進成旅店英名ラブホテルは、路地裏でラブホテルにふさわしい。またもやひどいところかと半分あきらめて行くと真新しいビジネスで、フロントさんは親切なおばさんです。どうしてラブホテルなどの英名をつけるのですか?日本語の意味を知らないのですか?

ホテルの近くの屏東夜市屋台でなく店が多い

牡蠣と豆腐の炒め物
 夜は近くに夜市があってそこの海鮮料理で食べることにしたのですが、ビールはどこかで調達しなければならない。探し回ってやっとコンビニを見つけて2本購入本当に困ります。どの屋台でもビールを飲んでいる客は見つからないのはどうしてでしょうね。

食べたいメニューの注文の仕方。
写真に撮って見せるこれが一番です。

派手な電飾の慈鳳宮
媽祖像


いずれも名前は中国語ですが。今では立派な日本食です。

11日目(1月16日)曇り


 屏東から左営20km余り。せめてこれくらいはと、いい加減な台湾自転車旅行の締めにするべく走ります。ほとんど国道沿いを走って昼前に左営の高鐵駅に到着。各停でも桃園に1時間半でいきます。
 高鐵桃園駅は空港線のMRTと直結していて中歴方向行く列車は少なく20分以上の待ちます。それでホームで自転車を組み立て荷物をのせて、環北の駅に行って、出札に行くと咎められました。何でかわかりませんが、MRTは自転車はOKのはずと云ってみましたが、「今回だけは大目に見るなどと云います」が、ひょっとすると空港線は裸の自転車は不可なのかも。
蓮園商務飯店の広い部屋で、預けてあった自転車のパッキング用部材で最適パッキング手順を考えたりしながらパッキングします。参考までにサイドバック一個とその他部材も同梱しトータル23kgにします。勿論サドルを下にして手作りのローラーをセットして転がします。 

12日目(1月17日)


 早餐宴はお休みで、ランチボックスをフロントでくれます。 ハッチバックの車を絵を描いてタクシーをお願いするします。環北のMRTではパッキング自転車で堂々と通過です。
空港第一ターミナルのJetstarのチェックインタイムには10:45分LCCはきっちり2時間前でないとカウンターを開きません。早く行き過ぎたので、時間待ちに困ります。レストランも無い。 11時過ぎになって、やっと荷物を預けて2階に上がると、セキュリティーチェックの前にレストランが沢山有ります。知っていればゆっくりコヒーブレク出来たのに。
 飛行機は満員です。勿論LCCですからTVも有りません。
12:45発16時着関空でレムジンバスが1時間待ち、茨木あたりで渋滞でうんざり、やっと家には19時過帰着。ウイークデーはJRはるかに乗るべきだと反省。 今回の旅は最後の1週間は、まるでドジなことばかりでした。でも日本国内よりも親切な皆さんに接しておもえば楽しい旅でした。ありがとう台湾。





コメント

  1. この旅行ほど台湾の皆様にお世話になった事はありません。日本にお出での節は是非ご連絡のほどを。

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  2. こんばんは。
    調べてみましたが、桃園空港に行くMRTは自転車は裸では持ち込み禁止(輪行袋や
    航空輪行用の輪行ケースに完全収納することと記載あり)と利用規約に書かれていますので、
    その時乗れたのは駅の職員さんが特別にお目こぼししてくれたお陰だと思います。

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    1. やっぱりそうだったのですね。空港から中歴に行く時に、プラットホームで時間があったので、袋から出して組み立てて出たのです。他の路線では、過去に何度か裸で乗ったのですが、別運賃を取られた様です。
      台鉄でも区間列車は自転車が裸で乗せられますが、自強号などは、梱包が必要ですが、プラットホームで梱包するのは違反かも?

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